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【速報】核追う記者から首相への手紙「橋渡し役には…」

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-8-6 16:00:41  点击:  切换到繁體中文

 



原爆慰霊碑に手を合わせる人たち=2018年8月6日午前8時15分、広島県坂町、光墨祥吾撮影



被爆73年を迎えた広島。6日午前の平和記念式典には、被爆者や遺族など約5万人が参列し、平和への思いを新たにした。式典が終わっても、平和記念公園には世界中から人が集っている。午後も各地の「原爆の日」を追う。


被爆と被災、重なる思い 8月6日、広島の特別な一日


被爆者は今、核兵器と人類の関係は…核といのちを考える


【写真特集】ヒロシマ、カメラの証言 原爆投下直後、記者が撮った街は



【英語版】On Aug. 6, Hiroshima prays for hibakusha, flooding victims


被爆73年となる広島原爆の日を海外にも発信。8月6日のタイムライン、英語版の記事はこちらです。



のんさん、広島で舞台あいさつ「心配していた」(12:30)




舞台あいさつをするのんさん=2018年8月6日午後0時41分、広島市中区、永野真奈撮影



俳優のんさんが8月6日の広島で舞台あいさつ――。戦時下の広島・呉を舞台にしたアニメーション映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)を上映している広島市中区の映画館に、主人公「すず」の声を演じたのんさんと片渕監督が登場した。


この日午前の平和記念式典に参列したのんさんは「すずさんを演じて、戦争に目を向けていかないと、という気持ちになった」と話した。




舞台あいさつをするのんさん=2018年8月6日午後0時31分、広島市中区



のんさんはまた、西日本豪雨の被災地への気遣いも見せた。観客に向かって、「(豪雨の)大きな被害に遭われていて心配していたので、今日はおじゃまさせていただいて、皆さんの顔を見られたら良いなあと思っていました」と語りかけた。


舞台の幕が上がると、観客からは「おかえりなさーい!」という声や大きな拍手がわき起こり、のんさんと片渕監督は笑顔で何度も頭を下げた。(永野真奈)


長崎の鐘、平和の響き(11:02)


73年前、広島に投下された3日後、長崎に原爆が落とされた。


長崎市の平和公園ではこの日、長崎に原爆が投下された午前11時2分、すべての被爆者を悼み、平和を願って「長崎の鐘」が鳴らされた。




平和への願いを込めて多くの人が「長崎の鐘」を鳴らした=2018年8月6日午前11時2分、長崎市松山町



平和団体が公園を訪れた市民らに呼びかけ、6日から9日まで毎日鳴らす。横浜市から来た中学2年、佐藤歌音さん(13)は「鐘を引くひもは重かったけど、それ以上に戦争の悲惨さを考え、心で平和の重みを感じました」と話した。(弓長理佳)


首相、核禁条約めぐり被爆者代表と平行線(10:48)


「思い出すことはつらかったと思いますが、体験をここを訪問する子どもたちに伝えてこられた。皆さまの努力が核なき世界に結実するように、我々も全力を挙げなければならない」


広島市で平和記念式典に参列した安倍晋三首相はその後、同市東区の原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」を慰問。約30人の被爆者を前にこう語り、「お元気で」と声をかけた。


慰問に先立ち、首相は広島市中区のホテルであった「被爆者代表の要望を聞く会」に出席。7人の代表とテーブルを挟んで向かい合った。




あいさつを終え、席に戻る安倍晋三首相を見る遺族ら=2018年8月6日午前8時36分、広島市中区、小林一茂撮影



正面に座った広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長はこう訴えた。「原爆というのはね、人間の悪知恵で作ったもん。人間が作ったんだから、人類が解決しないといけない。あの世へ行く気がしません」


広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約への署名と批准を要求。原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を引き、「政府の態度は、碑文の誓いに背くもの」と批判した。


一方、首相は核禁条約は「アプローチは異なるものの、条約がめざす核兵器廃絶という目標は共有している」。核兵器国と非核兵器国の「橋渡し役を担う」と述べ、署名や批准は行わない姿勢を改めて示した。


安倍首相への手紙


内閣総理大臣 安倍晋三様


広島平和記念式典でのあいさつで、あなたは昨年に続き、今年も核兵器禁止条約に一切触れませんでした。「核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)と核実験被害者の受け入れがたい苦痛と被害を心に留める」とうたった条約が122カ国の賛成で採択されてから1年余り。被爆地には怒りと落胆が広がっています。


式典後、被爆者代表の要望を聞く会で、あなたは条約に署名・批准する考えはないとの立場を改めて示しました。昨年、「満腔(まんこう)の怒り」を表明した広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄(ゆきお)事務局長(89)はこう嘆いています。「昨年と同じことですよ。全然受け入れられるような状況じゃない。わが国は被爆国だということを根っこに持ってほしい」


条約に背を向け続ける、あなたのかたくなな姿勢は、式典あいさつで誓われた「橋渡し役」を果たすには不適格と映ります。


残念ながら、渡す「橋」の軸足が「核の傘」を差し掛ける同盟国・米国側だけに置かれていることが、国際社会にも被爆地にも見透かされているようです。核兵器の非人道性の象徴である核被害者に、もっと寄り添う姿勢を示すことが、実質的な「橋渡し役」の条件ではないでしょうか。


核禁条約のモデルとなった対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約では、日本政府は米国の反対を押し切って署名・批准しました。それぞれ当時の小渕恵三外相、福田康夫首相の人道的な政治決断でした。


最後に、条約を5月に批准し、きょうの広島の式典に参列したオーストリア外務省のトーマス・ハイノッチ軍縮・不拡散局長からのメッセージを記します。


「オーストリアは憲法で核兵器を禁止しているので、核禁条約もスムーズに批准できました。もちろん条約に参加するかどうかは日本政府と国民が決めることですが、大いに関心を持っておられることは承知しています。条約はすでに国際社会で現実のものとして受け入れられつつあり、発効は時間の問題ですよ」


合わせて、こちらもお読みいただけると幸いです。


http://webronza.asahi.com/politics/articles/2018080100008.html



(核と人類取材センター・田井中雅人)


夾竹桃の物語、紙芝居が初披露(10:30)




「夾竹桃物語」の紙芝居を披露する子供たち=2018年8月6日午前11時33分、広島市中区、小池寛木撮影



原爆で被爆した動植物を描いた絵本「夾竹桃(きょうちくとう)物語」の紙芝居が、広島市内で開かれた読書感想文コンクールの授賞式で初披露された。


「夾竹桃物語」は原爆投下で燃えたキョウチクトウを被爆した犬たちが身をていして消し止めた、という物語。広島市の弁護士で墨絵詩人、緒方俊平さんが2000年に出版した。




紙芝居「夾竹桃物語」のワンシーン



絵本の世界をより多くの人たちに伝えようと、コンクールを主催する事務局が紙芝居を発行した。全19枚の紙芝居は今後、4千冊を全国の学校や図書館に寄贈する予定だ。


感想文コンクールは今年で18回目。小中学生対象に全国から3138点の応募(作文・絵画・書道の各部門)があり、入選者46人のうち、43人が広島に招かれた。文部科学大臣賞を受賞した大船渡市立第一中学校2年の畠山公君は「原爆や平和について、もっと学び、もっと知りたい」と話した。(小池寛木)


韓国人被爆者の追悼式@ソウル


日本統治時代に広島や長崎で被爆した韓国人被爆者を追悼する式典が6日午前、ソウル市道峰(トボン)区の区民会館であった。被爆者とその家族ら約200人が出席。平和の鐘を鳴らし、犠牲者の位牌(いはい)を据えた祭壇に祈りを捧げた。日本大使館の職員も出席した。




韓国人原爆犠牲者追悼式で献花する被爆者ら=6日、ソウル市道峰区、武田肇撮影



式典を主宰した韓国原爆被害者協議会によると、韓国在住の被爆者は約2500人で、うち約550人がソウルで暮らす。生後4カ月で広島で被爆した李基烈(イギヨル)・同協議会支部長(73)は、韓国政府が今夏初めて在韓被爆者の実態調査に乗り出したことを明らかにした。


協議会は日本政府に対し、日本人被爆者と同様の援護措置を求めるととに、反核平和運動に取り組んできた。日本兵として広島にいて被爆した郭貴勲(カクキフン)さん(94)は「今年の南北首脳会談や米朝首脳会談は、核なき世界を願う韓国の被爆者にとって良いニュース。ただ、実際の達成まで、まだまだ時間がかかりそうだ」と話した。


日本大使館からは村上学参事官ら3人が出席。大使の追悼の辞を代読し、「世界に再び原爆による被害者が出るような不幸が繰り返されることがないよう、平和の誓いを新たにします」と述べた。同様の追悼式は6日午前、広島被爆者が多く暮らすことで知られる慶尚北道陜川(ハプチョン)でも開かれた。(ソウル=武田肇)


原爆の残り火、今も燃える@福岡・八女


73年前に広島の焼け跡から持ち帰られた原爆の残り火が「平和の火」として今も燃える福岡県八女市星野村の「星のふるさと公園平和の広場」で、市主催の平和祈念式典があった。原爆投下時刻にあわせ、参加者が黙禱(もくとう)した。


火は地元出身の山本達雄さん(2004年に88歳で死去)が広島に住んでいた叔父の遺骨代わりに持ち帰り、自宅でともし続けた。山本さんにとって当初は「うらみの火」だった。だが、「うらんでばかりでは世界は平和にならない」との思いから、「平和の火」へと変化した。1968年に星野村(現・八女市)に受け継がれ、今年で50年となる。




広島原爆の残り火をともし続ける「平和の塔」に献花する平和祈念式典の参加者=2018年8月6日午前9時14分、福岡県八女市星野村、佐々木亮撮影



式典には広島市の松井一実市長が「絶対悪である核兵器の廃絶と平和の実現に向け共に力を尽くし、行動してくださることを期待しています」とメッセージを寄せた。星野小6年原口ひなのさんが「この先の未来へ永遠にともし続けられるよう努力したいです」という「平和の誓い」を述べた。(佐々木亮)


小中学校では「8・6登校日」@広島県内


広島県内の公立小中学校では、8月6日を平和学習の日として登校日にするところが多い。夏休み中のこの日、学校には子どもたちの元気な声が響いた。


平和記念式典の開かれた広島市の平和記念公園の北東約1キロに位置する白島(はくしま)小学校(同市中区)では、児童約400人が式典のテレビ中継を見て、午前8時15分から1分間黙禱(もくとう)。その後、被爆者の講演に耳を傾けた。




平和記念式典のテレビ中継を見る児童=6日午前8時10分、広島市中区の白島小学校、原田悠自撮影



6年生の高下紘夢(こうげひろむ)君(11)は「多くの人が平和について考える8月6日は、広島にとって特別な日。戦争は二度と繰り返してはいけないと改めて実感しました」と話していた。


これまで市の教職員の勤務は広島県条例に基づいていたが、昨年に権限が県から市に移管。市条例では8月6日が「市の休日」のため教職員が出勤できず、別の日を登校日にするなどした。このため、市は今年度、登校日を各校の判断に委ねる「臨時の学校行事」と位置づけ、8月6日に登校できるようにしたという。(原田悠自)



 

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