乱打戦の末、6日の第1試合で敗れた山梨学院。1年生の栗田勇雅君が捕手を務めた。福島県いわき市出身。山梨大会優勝に貢献し「父さんに甲子園の土を持って帰ることができる」と臨んだ夏の選手権大会だったが、一歩及ばなかった。
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高知商に16安打を浴び、14失点を喫した。「捕手は守りの要だから、打たれるのは自分の責任」と悔しさをにじませた。
小学2年生の時、いわき市内の小学校で東日本大震災に襲われた。他の児童と一緒に教室を飛び出し、高台へ駆け上がった。校舎を津波が襲う光景は今も忘れられない。同県双葉町に住む父方の祖父母は放射線の影響で家に戻ることができなくなった。
それでも、両親や祖父母は野球のサポートをしてくれた。父健一さん(40)は遅くまで打撃練習に付き合った。上達していくにつれ、「甲子園に行きたい」という思いを強め、山梨学院への入学が決まった。
その直後から力を発揮し、春の大会で本塁打を放つ。上級生に交じって堂々とプレーし、1年生で唯一甲子園出場メンバーに。「今の打撃があるのは父さんのおかげ」と話す。
「立派になったな」。健一さんは栗田君の活躍を特別な思いで見つめていた。健一さんも1994年、双葉高校時代に福島代表として甲子園に行った。メンバーから外れたが、甲子園の土を瓶に入れ、地方大会の優勝メダルとともに双葉町の実家に大切に保管していた。町は今も避難指示が解除されておらず、土もメダルもそのままだ。
栗田君は3番に座ったが無安打に終わった。「雰囲気にのまれ、冷静になれなかった」。試合後、グラウンドの土を拾い集めた。1年生の自分に優しく教えてくれたメンバー外の3年生に渡したいから。もちろん父の分もある。「甲子園に出られるまでに育ててくれてありがとう」と伝えるつもりだ。(市川由佳子)