被爆クスノキと生きて、語る使命 苗木がつないだ物語——贯通日本资讯频道
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被爆クスノキと生きて、語る使命 苗木がつないだ物語

ナガサキノート10年 記者再訪


見上げると、青々と茂った葉が真夏の日差しを和らげていた。長崎市の山王神社にそびえる2本のクスノキ。「一度は真っ黒焦げになった木が、ようここまで元気になった」。森田博満さん(83)は樹齢約600年の幹をなでた。


過去の「ナガサキノート」はこちら


記者が忘れられぬ「普通の人」 原爆免れた…その声再び


幼少の頃から、いつもクスノキのそばで遊んで育った。1945年8月9日、当時10歳だった森田さんは爆心地から1・8キロの自宅にいた。原爆が炸裂(さくれつ)したのは玄関に入った直後だったため、熱線は免れたが、自宅の外にいた兄や知人は亡くなった。


枝松佑樹(えだまつ・ゆうき) 西部報道センター記者。広島市出身の被爆3世。2009~11年に長崎総局に赴任し、ナガサキノートを取材。


クスノキは爆心地から約800メートル。葉は焼かれ、幹には金属片が突き刺さり、一時は枯死同然となった。原爆の熱線と爆風が街を襲い、当時、70年は草木も生えないと言われた。



【3Dで特集】ナガサキノート あの日、人々の足取り


1945年8月9~10日に爆心地数キロ圏内にいた人を中心に約150人について、証言から推測される足取りを地図上に再現しました。一人ひとりの証言が読めます。



だが、その後、クスノキは再び芽吹く。復興のシンボルになった。


「クスノキみたいに頑張ろう」…


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