1995年の阪神・淡路大震災で亡くなった神戸大学生の上野志乃(しの)さん(当時20)が、生前に描いていた「パラパラ絵本」が出版された。原本は、神戸市灘区で倒壊した下宿先アパートのがれきの中から、父親の政志(まさし)さん(70)=兵庫県佐用町=が見つけた。「空を泳ぎたかった魚の話」とタイトルが付いていた。
特集:阪神大震災
手のひらサイズの小冊子。60ページをパラパラめくると、黒いペンで描いた魚が泳ぎ出す。水中から空へ。さらに、こいのぼりに。パートナーと子どもが加わり、家族3匹が並んで穏やかに風に揺れる。
「家族と幸せに暮らしたい、という志乃の夢を描いたのだろう」と政志さん。
震災は成人式の2日後に起きた。志乃さんは当時、発達科学部2年生で美術を専攻し、将来は染織家をめざしていた。佐用町の実家に帰って式に参加した後、アパートに戻って被災した。駆けつけた政志さんは翌朝、崩れた建材の下で冷たくなっていた志乃さんを見つけた。
アパートのがれきが撤去されるまでの約2カ月間、政志さんは往復4時間をかけてほぼ毎日通い、遺品を拾い集めた。大学の課題で制作した絵図や5時46分で止まった時計……。その中にパラパラ絵本があった。23年余り、自宅で保管してきた。
出版のきっかけは、兵庫県宝塚市のグラフィックデザイナー本下瑞穂(ほんげみずほ)さん(39)との出会いだった。
本下さんは志乃さんが卒業した高校の後輩で、同じ絵画塾で学んだ。会ったことはないが、塾には志乃さんの木炭画が残っていた。レベルの高さに驚き、作者は震災で亡くなったと知ってショックを受けた。ずっと心に残っていた。
本下さんは6年前に長男を出産した際、生死の境をさまよった。命のはかなさと、生きていることのありがたさ。才能がありながら夢をかなえられなかった志乃さんのこと。様々な思いが交錯し、昨年1月17日の朝、志乃さんが被災したアパート跡地を訪ねた。
そこで政志さんと会った。思いを打ち明け、交流が始まった。
パラパラ絵本を見た本下さんは「大勢の人に手にとってもらいたい」と考えた。本にすることを提案すると、政志さんも「多くの人に喜んでもらえるなら」と応じてくれた。
志乃さんが存命なら44歳となる誕生日の今年5月19日、100部を発行した。市販はしていないが、佐用町や宝塚市などの図書館に寄贈した。
政志さんの誕生日には似顔絵を描いたクッキーを焼いてくれた志乃さん。大学入学後も帰省するたび、好物のぼた餅をお土産に買ってきてくれた。家族への思いがにじむ絵本は「娘そのもの」と政志さんは言う。「娘が感じていた家族と一緒にいる幸せが、本を手にしてくれた人たちに伝わればうれしい」(太田康夫)