万博は1800年代にロンドンで始まり、エッフェル塔もパリ万博で建てられた。2025年万博の大阪への誘致に向けて地元の期待は高まる。しかし、1度目の大阪万博の後、大規模な万博は約20年間にわたり見送られた。かつて国威発揚の場だった万博の意義が問われている。
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国際博覧会(万博)
博覧会国際事務局(BIE)の承認のもと、国際博覧会条約に基づいて開かれる。1988年の条約改正で登録博と認定博に分類され、総合的で幅広いテーマが求められる登録博は5年に1度の開催で期間は最大6カ月。2025年の万博は登録博。会場面積は無制限。
大阪市で25日、万博の意義を市民に伝えるイベントが開かれた。松井一郎・大阪府知事は「今までの万博は国威発揚型だった。だけど万博も変わってきて、課題解決をする。そういう機会にしたい」と強調した。
万博は、時代の流れと共に姿を変えてきた。
1851年にロンドンで始まった万博は、産業革命で工業化した国々の「巨大産業見本市」との位置づけだった。20世紀に入ると企業も競い合うように参加。開催国にとっては国威発揚の場だった。1970年の大阪万博はその一つの頂点だ。日本が高度経済成長の時代、当時最高の約6400万人が訪れた。
だが、この直後に万博は「冬の時代」を迎える。
大阪万博後、92年までの20…