将棋界の感動の実話に基づいた映画「泣き虫しょったんの奇跡」で、松田龍平が実在のプロ棋士役に挑戦した。将棋は駒の動かし方は知っているものの、実際に指したことはなく、プロの対局も見たことがなかったという松田が全力で打ちこんだ「奇跡」のドラマとは――。
原作は現役プロの瀬川晶司(しょうじ)五段(48)が2006年に刊行した同名の半生記。松田は瀬川さんの役を演じた。
「しょったん」こと瀬川少年は、中学3年でプロ棋士養成機関の奨励会に入り、精進を重ねた。だが、26歳になるまでにプロと認められる四段に昇段できず、年齢制限の規定で、やむなく退会した。
10年余りの人生を棒に振らせた将棋を憎んだが、ふとしたことから街中の将棋道場に通い始め、のびのびと指す将棋の楽しさを再発見する。サラリーマンとして働きながらアマ棋界で快進撃を続けた瀬川さんは05年、61年ぶりに行われたプロ編入試験六番勝負に合格し、ついにプロ入りを果たした。
松田は、棋士らしく見せる演技のリアリティーを高めるため、豊田利晃監督(49)から真っ先に習得するように求められたのは手つきだったと言う。「人さし指、中指、薬指の3本で駒をつかみ、パシッと指す。この手さばきに棋士の個性と美学が表れると教わりました。瀬川さんからいただいた盤と駒を家に持ち帰ってひたすら練習し、いちばん持ちづらかった歩(ふ)の駒は、いつもポケットに忍ばせて手になじませていました」
じつは豊田監督自身、9歳から17歳まで関西の奨励会にいたが、プロ入りをあきらめた過去がある。力なき者は去るほかない奨励会で、失意に打ちひしがれた若者が姿を消してゆく場面の演出には、同じ挫折を体験した者にしか醸し出せない説得力がある。
松田の持ち味は、脱力したクールな演技だ。しかし、本作には、そんな松田らしからぬ、感情をむきだしにするシーンがある。
奨励会を退会して間もなく、プロ棋士になる夢を後押ししていた父親が不慮の事故で亡くなる。遺体と対面したとき、まさに慟哭(どうこく)と形容すべき激しさで泣き崩れるのだ。
「原作には書かれていませんでしたが、奨励会で夢破れてから、心の片隅で、地獄の年齢制限におびえずに済む安堵(あんど)に浸っていたことに深く恥じ入り、申し訳なく思ったのではないかと想像したんです。でも、目の前にカメラを据えられ、『泣ける?』って真っ向勝負で来られたから、ひどく緊張しました。泣く芝居は、当分、やりたくない」
瀬川さんは35歳でプロ入りの悲願をかなえた。いまの自分が同じ年齢であることに奇縁を感じるという。
「僕は、ふと気づいたら役者をやっていた。心底からやりたいことは何なのか、この年になるまで、深く考えたことがなかったなと、自分を省みるきっかけになりました」
出演者は他に小林薫、イッセー尾形、國村隼、美保純、松たか子、染谷将太ら。7日から公開。(保科龍朗)