看板や建物のデザインが好きで趣味は街歩き。NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地として名が売れる前から、岐阜県恵那市岩村町は好きな街だった。ヒロイン楡野鈴愛(にれのすずめ)の「ふるさと」は、「青い」というより「しぶい」街だ。
楽しいけど穴が… 逃げ恥漫画家が見る「半分、青い。」
明治の看板、創業200年の老舗いまも
明知鉄道岩村駅前に古い街並みが延びる。少し歩くと、もう街の中心。古い薬看板がかかる「水野薬局」が目に入る。「清龍丹」「六神丸」「奇應丸」など年配者なら懐かしい薬の名。店の昔の屋号「水野得歓堂」の看板も立つ。ウィンドーには軍人の肖像画入りの「五福眼薬」という目薬の額入り看板。「軍医監横井先生方剤」と書かれ、いかめしい。
中に入ると、11枚もの金箔(きんぱく)の薬看板が壁々に。正面の看板の字は「本舗大阪 参天堂薬房 大学目薬」。「大学目薬」は参天製薬の今も現役の商品だ。「うちは江戸中期から薬屋。看板は明治からのもので、観光客の皆さんがしげしげと見ていかれます」と店主の水野清彦さん(66)。
隣は昭和初期創業の「藤井時計店」だ。大看板の屋号は堂々たる達筆。「補聴器 眼鏡所」と書かれた副看板の上の小屋根は婉曲(わんきょく)しておしゃれだ。
主人の藤井志朗さん(76)は腕利きの時計修理士でもあり、修理依頼品が各地から持ち込まれる。そうした品は思い出や由緒が深かったりする。工具を握る手には自然と気合が入る。店内では店と同じ歴史をもつ、高さ2メートルのドイツ製柱時計がおおらかに時を刻む。
藤井さんから手作り家具工房の「京屋」を紹介された。創業は200年以上前の江戸・寛政年間。店舗兼住まいも江戸時代の建物で、奥に「店訓」の扁額(へんがく)がかかる。先祖が揮毫(きごう)した「信用は無限の資本なり」「奉仕を先に、利を後にす」などの5項目。代々指針としてきた。
その昔、京屋は婚礼家具を納める際、運ぶトラックの整備も完璧にしたという。「婚礼に『後戻り』は許されない。トラブルは絶対にだめ」。現主人の松井宏次さん(60)がその心を説く。「婚礼家具の時代は去ったけれど、売る物に責任を持つことに変わりはない。手入れや修理にも力を入れます」
とことん責任を持つ――。藤井さんや松井さんの商いを見ると、この街には律義な昔の日本が生き続けているようで気持ちが和む。
京屋にほど近い「矢野書店」も風情がある。江戸時代には瓦版(かわらばん)や文具を売っていたといい、柱には「国定教科書取次販売所」「参謀本部陸地測量部発行地図販売店」の木札がかかる。帳場には木製レジスター。「戦前からのもの。街の唯一の本屋として、こういうものも残さないとね」と主人の矢野昭夫さん(74)。
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岩村町は戦国時代ごろから町割りができ始め、岩村藩の城下町として整えられた。東西1・3キロの本通りが国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、「半分、青い。」に登場する「ふくろう商店街」のシーンは、この街並みで撮影された。市によると、今年4~8月の保存地区への観光客は約22万5千人と昨年同期の5倍に増えた。
幕末の志士たちに影響を与えた藩の儒学者・佐藤一斎の格言札も街のそこここにかかる。歩いていて何か得るものが多い、ほんわかした街。ぴたっとくる言葉を探すと、「温故知新」に思い至った。(森川洋)