73年前の7月28日、千人以上が犠牲となった青森空襲。その前後に撮影されたモノクロ写真を人工知能(AI)でカラー化する取り組みを「青森空襲を記録する会」が進めている。「記憶の解凍」をテーマに時間の壁を取り払い、平和への願いを次世代に伝えようという新たな試みだ。
白黒写真をカラー化、若き日の祖父に会えた 記者も体験
チリ地震津波の記憶、今に 半世紀前の写真をカラー化
空襲で一面焼け野原となった青森の市街地に、赤茶色のトラックが集まっている。荷台には警察官や警防団員とみられる人たち。空襲直後の7月29日ごろ、青森県会議事堂付近で撮られた1枚だ。
「このトラックで黒こげになった遺体を回収していたんだ」。今年8月、カラー化した写真26枚を初めて展示する「青森・大湊空襲展」が青森市内で開かれた。訪れた小山誠治さん(82)は、せきを切ったように語り始めた。
現在の青森市橋本に自宅があった小山さんはあの日、焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ街を布団をかぶって走り抜けた。「火柱をあげて燃える両側の家がダーッと崩れて、ぎりぎりのところだった。父は警防団長で、町内の人を逃がして最後の避難だった。この間のことのように思い出す」
小山さんと父母は町外れの田んぼに逃げて一夜を明かしたが、祖父母といとこの計6人が、防空壕(ごう)で焼夷弾の直撃を受け、遺体で見つかった。
「記録する会」はこれまでもモノクロ写真や資料を毎年公開してきたが、「思い出すのが苦しくて」、小山さんが足を運んだことはなかった。だが今年は、封じ込めていた記憶を10歳と6歳の孫に語り継ごうと意を決し、展示会場に一緒に来たという。
会場となった青森市内の百貨店では、爆撃の水柱に囲まれる青函連絡船など、空襲時の記録を最新技術でカラー化した写真を公開。また、バザー用品の制作に没頭する県立青森高等女学校生など、市民から提供された日米開戦前の写真からは、空襲で失われた日常が色鮮やかによみがえった。
青森市内に帰省中に母と会場を訪れた東京都中野区の広野優芽さん(12)は、「モノクロ写真だと、昔のことと教科書を閉じてしまう」。空襲後の街並みや女学生らのカラー化写真に「当時のことが身近に感じた。もっと詳しく調べてみたい」と話した。
■「白黒の時代 今とは関係ない…