カイシャで生きる 第9話
黒、黒のち白(上)
特集:カイシャで生きる
心臓病、司法浪人、37歳でやっと定職…からの出世街道
夕方5時をまわったころ、化粧品会社ランクアップ社長の岩崎裕美子さん(50)はバッグを持つと席を立った。
「お先に失礼しま~す」
フロア中に響く声に、社員たちが「お疲れさまでした~」と返す。
スーパーに寄って総菜を買う。ご飯は朝、炊飯器にタイマーをセットしてきた。家に着くころには、小学4年生の息子がちょうど習い事から帰ってくる。
2005年に創業したランクアップの主力商品は、メイク落としの「マナラ ホットクレンジングゲル」だ。手のひらに取り、顔になじませると、ぽっと温かく感じる。その不思議な感覚と肌への優しさが女性たちから支持され、通販やドラッグストアなどで大ヒットした。
今年6月には累計販売数が1千万本超え。30秒に1本が売れている計算だ。11年連続の増収で、昨年の売上高は100億円を超えた。
メールに「お疲れさまです」御法度
51人の社員うち47人が女性で、その約半数が子育て中だ。岩崎さんは商品開発と同じだけの情熱を、労働時間を減らすことに注ぐ。
定時は午前8時半~午後5時半だが、仕事が終われば5時に帰ってもいい決まりがある。仕事を覚えるため、新卒の若手社員らが午後8時ごろまで残ることもあるが、多くの社員は定時までに帰る。時短勤務社員を除いたフルタイム34人の1人あたりの残業時間は月10時間ほどだ。
半年に1度、全員の業務と所要時間を洗い出し、残業が多い社員の業務を見直す。手間のかかるパワーポイントでの資料作りは禁止、言いたいことはA4用紙1枚に。会議は30分で終える。
全員のスケジュールをオンラインで共有し、打ち合わせなどをしたければ社長の予定にも断りなく入れる。社内メールでは「お疲れさまです」の一言も御法度だ。
手間のかかる事務作業はシステム化し、コールセンターや発送などの業務はどんどん外部に委託している。
「WLB」という言葉が嫌いだった
岩崎さんは13年前まで、広告のベンチャー企業で取締役をしていた。
超長時間労働は当たり前。多くの社員が終電で帰っていた。
岩崎さん自身、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が大嫌いだった。
〈仕事も私生活も充実させたいなんて、売り上げをあげられない社員の言い訳だ〉
32歳で取締役営業本部長に抜擢(ばってき)された。会社を大きくし、安定させることに使命もやりがいも感じていた。
でも、社員は居着かない。長くても3年で辞めてしまうため、数年で社員全員が丸ごと入れ替わるほどだった。
優秀な女性たちは「この会社では結婚も、出産もできない」と言って去っていった。
辞めないで、とは言えなかった。結婚はまだしも、出産はあり得なかった。自身も結婚や出産のことを考えないようにしてきた。残業できない社員は、ここでは戦力ではないのだから。
「育休から復帰したいなんて言われたら面倒だとすら思っていた。女性を使い捨てにしていた」
創業時から一緒にやってきた管理職がそろって辞めた。岩崎さんも、そこで目が覚めた。みんな疲れ果てていた。社員は機械じゃない。こんな生活は男性でも、女性でも続かない。
会社を変えたいと思うようになった。週1回のノー残業デーをつくり、残業は夜10時までに。非効率な電話営業も見直した。
ところが、社長からこう言われた。
「残業をやめて売り上げが落ちたらどうするんだ」
限界だった。そしてこう考えた。「会社を変えるより、自分で会社を作った方が早い」
2人で起業 そして出産
過酷な労働で、岩崎さんの肌はぼろぼろになっていた。
化粧品メーカーの広告を手がけていたこともあり、化粧品に配合する成分の勉強もしてきた。自分自身が使いたいと思う化粧品を作って売ろうと考えた。広告会社の部下と2人で、ランクアップを設立した。
41歳で出産し、3カ月休んで復帰した。当時、システムトラブルが原因で社員たちは深夜まで残業していた。子どもの延長保育は午後7時半まで。頑張っている仲間を横目に、先に帰るのは心苦しかった。
帰宅後は夕飯、お風呂、寝かしつけまで、ジェットコースターのようだった。寝不足がたたり、体調を崩した。そこで思いきって社員たちに呼びかけた。「残業をやめて定時に帰ろう」と。
残業がなくなれば、短時間勤務や定時退社する子育て中の社員たちが「特別」な存在にならずに済む。子育て中ではない社員たちにも「子育て社員のしわ寄せを受けている」と思わせなくて済む。
「病児シッター制度」もつくった。子どもが体調不良のとき、1日300円で利用できる。会社の負担は多いときで月60万円にもなるが、突発の休みを減らせる効果は大きい。なによりも、以前の会社のように長時間の残業が当たり前の職場にしたくなかった。子どもがいる、いないによって、社員の業務量やキャリアアップに差がつかないこと。それが女性が長く働き続けるために必要なことだと痛感していた。
こんな会社だったら、どんなに働きやすいだろう。うらやむ記者(2児の子育て中)に岩崎さんは言った。
「じつは5年前まで、社内の雰囲気はお通夜みたいでした」
働きやすいように制度を整えれば、社員たちはついてきてくれると信じていた。だが、待っていたのは、岩崎さんと社員にとっての「暗黒時代」だった。(高橋末菜)