「10・19(じゅってんいちきゅう)」。プロ野球の試合が野球ファンだけでなく、社会的な話題を呼んだ1日だ。1988年、近鉄バファローズが優勝をかけて挑んだロッテオリオンズとのダブルヘッダーから今年で30年。最後に力尽きた川崎球場跡で19日、記念の催しがあり、劇的な試合をしのぶかのように多くのファンが訪れた。
川崎球場は2000年、老朽化のため野球場としての役目を終え、いまは「富士通スタジアム川崎」に様変わりしてアメフトなどで人が集まる。ただ、解体されなかった外野フェンスや照明灯が残るため、毎秋、節目の日になると、ファンが「野球の聖地」として詰めかける。
この日は「『10・19』から30周年~パ・リーグの一番長い日をみんなで語ろう!~」と銘打った記念イベントがあり、スタジアムツアーのほか、近鉄やロッテ、阪急、日本ハムの元応援団員による座談会にファンが訪れた。
88年のペナント争いは西武が首位で先に全日程を終えた。仰木彬監督のもと、近鉄は残る2試合に勝てば逆転優勝できるが、1試合でも負けるか引き分ければ西武を抜けない状況だった。午後3時開始の第1試合は近鉄が九回、この年限りでの引退を決めていた梨田が代打で勝ち越し打を放って、4―3で辛勝した。
第2試合は近鉄が八回、ブライアントの一発で勝ち越したが、その裏、エース阿波野が高沢に同点本塁打を浴びた。当時は試合開始から4時間を過ぎたら次の回に入らない規定があり、延長十回、4―4の時間切れ引き分けに――。近鉄はあと一歩で優勝を逃し、西武の優勝が決まった。
九回裏にはロッテ・有藤監督の長い抗議もあった。近鉄は十回表に勝ち越すことができず、優勝の可能性がなくなったその裏、むなしい守りにつく近鉄の選手たちと、天を仰いだ仰木監督の立ち姿は今なお語り継がれる。
ドラマチックな展開となった第2試合は、テレビ朝日系「ニュースステーション」で途中から生中継され、関東地区の視聴率は同番組歴代3位となる30・9%を記録した。2試合計7時間33分の死闘。当時、2試合とも観戦したというスポーツライターの菊田康彦さん(52)は「プロ野球がまだ特別だった時代。あの2試合には野球の面白さ、ルール上の残酷さが詰まっていた。だから、いまもファンを引きつけるのでは」と見る。
昭和最後の「10・19」となったこの日は、ダブルヘッダーだけで話題は終わらない。阪急からオリックスへの身売りが発表されたのだ。当時のパ・リーグはセ・リーグに比べて人気がなく、「汚い」「狭い」とやゆされた川崎球場のがらがらのスタンドでは、客席の段差を利用しての「流しそうめん」や、カップルの口づけがお決まりのカットでもあった。
この年は南海のダイエーへの身売りも明らかになっており、パの伝統球団の経営は曲がり角に来ていた。地域密着を掲げて日本ハムやソフトバンクなどが人気球団に成長していくのは、平成に衣替えした2004年の球界再編騒動を経てからのことになる。近鉄は「10・19」の悔しさを胸に翌年、リーグ優勝を果たしたが、この球界再編でオリックスと統合され、消滅した。(笠井正基)