鼻が高いから「鼻高(びこう)」、顔が長いから「長面(ちょうめん)」、頑固だから「剛(ごう)」――。幕末期、親しい間柄の大名らが互いに使った「あだ名」(雅号・戯号)だ。やりとりした手紙の宛名や署名から、教科書に出てくる「偉人」とはひと味ちがう、大名たちの人間性がほの見える。
あだ名は旧福井藩主の松平春嶽が1863~67年に大名たちとやりとりした手紙に出てくる。福井藩や松平家に関する史料「松平文庫」には手紙の写しが42冊、2500通以上保管されている。
福井藩の歴史に詳しい福井県立図書館(福井市下馬町)の司書、長野栄俊さん(46)によると、手紙であだ名が使われるのは、親しい間柄だからこそ。相手の容姿や性格の難点から取っているのは「失礼なことを言い合っても平気な間柄だったから」だと話す。
たとえば、春嶽は鼻が高いことを自虐して「鼻」「鋭鼻(えいび)」「鼻公(びこう)」と署名した。徳川慶喜や宇和島藩の伊達宗城からの手紙には宛名としてこれらのあだ名が書かれている。
宗城は面長だったとされ、春嶽の手紙には、宛名に「長面」と書かれている。頑固だった慶喜も、自分の署名に「剛」と記し、春嶽も慶喜への手紙の宛名に「剛」と書いた。薩摩藩の島津久光は、サツマイモのイメージからか「芋」という署名を使っている。
あだ名は、容姿だけでなく、性…