中国沿岸部の大都市、浙江省杭州市。その中心部にある杭州市腫瘤(しゅりゅう)医院で、世界に先駆け新たながん治療の臨床研究が進んでいる。
「インドから来ている患者がいる。会ってみるか」。記者は院長の呉式琇(54)の案内で病棟3階の個室を訪ねた。パジャマ姿のサンジュティ・サワール(56)がベッドに横になっていた。末期の食道がんを患うサワールの首からは、治療用チューブが延びる。治療の手立てはもはやなく、最後の希望を求めたのがこの臨床研究だった。
人への遺伝子操作、審査わずか3週間 中国医療の内幕
呉らは生き物の遺伝情報(ゲノム)を変える「クリスパー・キャス9(ナイン)」という技術を使い、患者の血液に含まれる細胞の遺伝子を操作して免疫の力でがん細胞をたたこうと試みている。
「クリスパー・キャス9(ナイン)」はノーベル賞候補とも言われる技術で、食べる身を多くした魚や筋肉量を増やしたイヌなど、動物では様々な成果がある。
ただ、人への応用で効果が得られるのか、治療に革命を起こすか、現時点では未知数だ。
人への応用は計画段階では米国が先行したが、副作用や倫理面などでの審査に時間がかかる間に、中国が追い抜いた。背景にあるのは、医療の分野でもスピード感や合理性を優先する「中国式」の価値観だった。
中国は、日本の先端研究にも触手を伸ばす。
東京のある医科大学が発表した成果に、中国の製薬関連企業が興味を示している。腎臓の機能が弱った重い糖尿病の患者の体に、ブタの腎臓のもとになる細胞を入れ、患者の体内で健康な腎臓を「再生」させようとする試みだ。
腎臓病患者は世界的に増えており、ビジネスとしての将来性は高い。この企業の顧問を名乗る男性は、中国の規制の緩さや資金援助などの利点をあげて、日本の研究者や技術を誘い込む。
「日本より規制ゆるい」医大教授の前に現れた中国人の男
この十数年で、医療や生命科学の分野における中国の存在感は格段に増した。医薬品産業の規模は急拡大し、論文数も大きく伸びて世界一の米国に迫る。
海外から優秀な研究者を引き抜く政策や、国際標準(ISO規格)づくりに国をあげて取り組む姿勢を目の当たりにしている日本の関係者は「中国の覇権への序章だ」と表現する。
「押して押して押しまくる」中国の剛腕、国際ルール左右
実力とスピードを備えた大国の台頭が、これまでこの分野を支えてきた欧米の基準や倫理観を揺さぶっている。=敬称略