今年、創業100年を迎えたパナソニックの成長は、販売店網の強さが支えた。だが、1980年代後半になると、販売の主役は家電量販店に取って代わられた。勝敗を分けたのは、時代だけではなかった。
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千葉県松戸市のJR松戸駅前の繁華街にある「サクライでんき」。電器店を名乗っているが、店に家電は無い。店先には赤ちょうちんがぶら下がり、夜は居酒屋として営業している。
「商品を並べても在庫になるだけ。居酒屋にしてしまえば、店も有効活用できる」。店主の桜井豊元(52)は話す。
店には各メーカーのカタログが置かれ、昼も夜も注文を受け付ける。価格は近くにあるヤマダ電機の店頭と同じ。すぐに欲しいと言われれば、近くのヤマダに商品を取りにも行く。
サクライでんきはもともと「ナショナルショップ」(今のパナソニックショップ)のひとつだった。だが約20年前に離脱。今は、ヤマダ電機傘下の家電チェーン「コスモス・ベリーズ」の一員になった。
「系列店の仕入れ価格は、ヤマダの店頭価格より高かった。これでは納得してもらえない」。桜井は、離脱した理由を話した。
2005年にヤマダ電機と提携…