乗降客でにぎわう仙石線の仙台駅ホーム=1976年、庄子喜隆さん撮影
[PR]
東日本大震災の最大の被災地、宮城県石巻市を仙台市と結ぶJR仙石線が今月、開通90年を迎えた。戦前は日本三景・松島への観光客を運び、戦時中に国有化された。戦後は、進駐軍の専用車両が走った時期も。そして震災。幾多のできごとをくぐりぬけ、仙石線は走り続ける。
テツの広場
地図
松島湾に臨む東松島市の陸前大塚駅のそばで、友野佳幸(よしゆき)さん(77)は28歳のときから理髪店を続けてきた。店の前を電車が通る。
友野佳幸さんと、理髪店の前を走る仙石線の電車。「防潮堤ができ、店から海が見えなくなったのが残念」=宮城県東松島市
初めて外国人と接したのは仙石線の車中だった。海軍矢本飛行場(現・航空自衛隊松島基地)が米軍に接収され、先頭車は進駐軍専用に。一般車にいると米兵に手招きされてガムをもらった。恥ずかしげに「サンキュー」と言ったのを覚えている。小学5年の時だ。
中学を卒業後、電車で仙台の理容学校に通った。時代は高度経済成長期に入り、仙石線は通勤や通学の足になった。「駅では扉ごとに学生バイトの『押し屋』が乗客を詰め込んだ。扇風機しかないから、夏にはみんな汗だくだった」
友野さんが持っている上野から野蒜までの1963(昭和38)年と65年の切符。行き先は手書きだった。2等で950円。7時間かかったという
駅員にお金渡すと…
かつては蒸気機関車も走ってい…