国が建設を進める八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)の水没予定地周辺で遺跡の発掘調査が25年近く続く。その成果を紹介する発表会「発掘された八ツ場の軌跡」が2日、町山村開発センターであった。1783(天明3)年の浅間山噴火による天明泥流で埋もれた被災集落など、調査した遺跡数は66、県内では過去に例のない延べ百万平方メートルに及ぶ。ダムの2019年度末の完成に向け、調査は大詰めを迎えている。
調査を担当した県埋蔵文化財調査事業団によると、東京ドーム約21個分に相当する面積の発掘調査は1994年度にスタート。縄文時代草創期から江戸時代までの地域の歩みを伝える貴重な遺跡が確認された。
注目を集めたのは、吾妻川流域の家々をのみ込んだ天明泥流の被災遺跡。発掘総面積の6割を占めた。発表会では、川原湯地区の石川原遺跡と、川を挟んだ対岸の川原畑地区の西宮遺跡が紹介された。
石川原遺跡は吾妻川右岸の段丘に広がる。浅間山から直線で約22キロ。段丘面には2~3メートルの土砂の堆積(たいせき)があり、直径3メートルほどの巨石もあった。集落の屋敷の母屋、蔵、納屋、寺の本堂・庫裏など56棟を確認。当時の生活を伝える家財道具や柱、床材などの貴重な資料も出土した。人骨も見つかっている。
吾妻川左岸の河岸段丘の緩斜面…