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「暴力にノー、平和にイエス」 ノーベル平和賞講演全文

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-12-11 8:12:23  点击:  切换到繁體中文

 

ノーベル平和賞の授賞式で10日、イラクのヤジディ教徒ナディア・ムラドさん(25)と、コンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ医師(63)が講演し、今も続く性暴力やマイノリティー(少数派)迫害に対する国際社会の取り組みを求めた。2人の講演内容は次の通り。


【特集】ナディア・ムラドさん


【特集】デニ・ムクウェゲ医師


「子供たちの叫び声が聞こえる」 ムラドさん


陛下、殿下、皆様。歓迎の意を表します。


この栄誉を授けてくださったノーベル賞委員会に感謝します。性暴力の被害者を助けるため、そして暴力の支配下にある女性たちの声になるために不断の努力を重ねた友人のデニ・ムクウェゲ医師と共に、この貴重な賞を与えられたことは大変光栄です。


私は心の底から皆さんにお話しして、共有したいのです。私の人生の進路、そして全てのヤジディ教徒の人生が、ジェノサイド(集団虐殺)によっていかに変化を強いられたかを。そして、過激派組織「イスラム国」(IS)が女性を捕らえて男性を殺害し、我々の巡礼地や礼拝所を破壊することで、いかにしてイラクを構成する要素の一つを根絶しようとしたかを。


今日は私にとって特別な日です。善が悪に打ち勝ち、人類がテロリズムを破った日です。迫害に苦しんだ子どもや女性が、犯罪者に打ち勝った日です。


今日という日が、新しい時代の幕開けになることを願っています。平和が最も優先され、女性や子ども、少数派、特に性暴力の被害者が迫害から守られる新しい行程表を作ることに、世界が団結して取り組み始める時代です。


私は(イラク北部の)シンジャル南部にあるコジョという村で幼少時代を過ごしました。当時、ノーベル平和賞のことは何も知りませんでした。世界で日々起こる争いや殺戮(さつりく)について、何も知りませんでした。恐ろしい罪を人類が互いに犯すことができるだなんて、全く知りませんでした。


若い女性として、私は高校を卒業することを目指しました。シンジャルで家族の近くに住み、村に美容院を開くことが夢でした。しかしこの夢は、悪夢に変わりました。予期していなかったことが起こったのです。ジェノサイドです。結果として、私は母と6人の兄弟、そして兄弟の子どもを失いました。全てのヤジディ教徒の家族が同様のストーリーを持っています。


我々の生活は、理解が追いつかないほど一夜にして変わってしまいました。全てのヤジディ教徒が、離ればなれになった家族を数えています。平和なコミュニティーを作っていた社会構造は破壊されました。平和の旗を掲げて寛容の精神を持った文化は、無益な戦争の燃料にされました。


私たちは歴史的に、信仰や宗教という理由で数々のジェノサイド被害に遭ってきました。その結果、トルコでは少人数のヤジディ教徒しか残っていません。シリアには約8万人がいましたが、現在はたったの5千人です。イラクでも同じ運命をたどり、人数は著しく減少しています。ヤジディ教を消し去るというISの目標は、適切な保護が与えられない限り達成されてしまうでしょう。これは、イラクやシリアに存在する他の少数派にとっても言えることです。


我々を守ることにイラク政府とクルディスタン地域政府が失敗した後、国際社会も同様に、ISから我々を守ってジェノサイドを食い止めることに失敗しました。コミュニティーが丸ごと消滅するのを、ただ眺めていたのです。我々の家、家族、伝統、人々、夢、全てが破壊されました。


ジェノサイドの後、国際的にも地元でも同情を集め、たくさんの国々がこの虐殺を認識したのです。それでも虐殺は止まりませんでした。今でも消滅の脅威が存在しています。


ISに収監されているヤジディ教徒の苦境は変わっていません。逃れられないし、ISに破壊されたものは何も復興されていません。今のところ、虐殺へとつながる罪を犯した犯罪者は誰も裁かれていません。私はもう同情はいりません。それらの気持ちを、行動に移して欲しいのです。


もしも国際社会がこの虐殺の被害者に本気で手を差し伸べたいのならば、そして私たちを難民キャンプから各自の住まいに戻し、再び自信を与えたいのならば、国際社会は国連の監視の下で国際的な保護を与えなければいけません。国際的な保護がなければ、別のテロリスト集団から再び虐殺されないという保証はありません。虐殺の被害に遭った人々に隠れ場や移住する機会を、国際社会は与えなければいけません。


今日という日は、全てのイラク人にとって特別な日です。私がノーベル平和賞を受賞する初めてのイラク人だからという理由だけではありません。今日という日は、ISというテロ組織からイラクの土地を解放したことを祝う日でもあるのです。北から南までイラク人は団結して、世界の代わりに長い道のりの戦いを過激派組織相手に行ってきました。


団結は我々に力をもたらしました。加えて、我々は努力を結集し、ISの犯罪を調べ、ISがイラクの広範囲を支配することを歓迎した者、手助けした者、そこに加わった者を罰しなければいけません。ISが去った後のイラクに、テロリズムや過激主義の場を与えてはいけません。国を建設して安全や安定性、繁栄をイラク人の利益のために団結しなければいけません。


ISがイラク社会の一部を構成する人たちの存在を消し去る狙いで、2014年にどれだけ無類の残虐行為をヤジディ教徒に働いたか、我々は毎日思い出さなければなりません。彼らは、私たちが彼らと異なった信条と文化を持ち、互いに殺し合うことや人々を収監したり奴隷にしたりすることに反対する、ヤジディ教徒であるというだけの理由で、この虐殺を行いました。


グローバル化と人権が叫ばれるこの21世紀という時代において、6500人以上のヤジディ教徒の子どもや女性が捕らわれて売買され、性的にも心理的にも虐待されています。14年以降、日々懇願しているにもかかわらず、ISに捕らえられていた3千人以上の子どもや女性の運命がいまだに分かっていません。人生を謳歌(おうか)するはずの若い女性が捕らわれ、売買され、毎日レイプされているのです。これらの女性を自由にするために、世界195カ国の指導者たちの良心が働かないことは、信じられることではありません。もしもこれが商業や油田や、武器の輸出だったらどうでしょうか。確かに言えることは、女性たちを自由にするために努力した跡は見られないと言うことです。


毎日、私は悲惨な話を耳にします。数十万人、いや数百万人の子どもや女性が世界中で迫害や暴力に苦しんでいるのです。毎日、シリアやイラク、イエメンの子供たちの叫び声が聞こえてきます。毎日、私たちはアフリカやほかの国々の数百人の女性や子供たちが、誰にも助けてもらえず、犯罪者たちの責任を問おうとしてくれる人もいない中で、人殺しの対象になり、戦争の燃料にされているのを目にします。


およそ4年間、私は世界中を旅しながら自分や自分のコミュニティー、ほかの弱いコミュニティーの話をしてきましたが、まったく正義は実現できていません。ヤジディ教徒をはじめとする女性や少女への性暴力の実行犯たちは、まだ、その犯罪行為について訴追されていません。正義が下されなければ、ジェノサイドは私たちやほかの弱いコミュニティーを対象に繰り返されるでしょう。正義こそが、平和と、イラクの様々な構成要素の共存を実現するための、唯一の方法です。もしも女性のレイプや監禁といった事件を繰り返したくないならば、女性や少女に対して性犯罪をした者たちの責任を問わねばなりません。


この名誉に大変感謝します。ですが、私たちの尊厳を回復できる唯一の賞は、正義と犯罪者の訴追であることに変わりはありません。ヤジディ教徒であるというだけで殺された、私たちの仲間や愛する人たちに報いることのできる賞はありません。私たちの仲間や友人たちの普通の暮らしを回復できる唯一のほうびは、正義と、残された者たちに対する保護です。


私たちは最近、世界人権宣言の70年を祝っています。この宣言の狙いはジェノサイドを防ぐことであり、実行犯たちの訴追を求めることです。私たちの共同体は4年以上にわたってジェノサイドの対象になってきました。国際社会はこれを防ごうとも、止めようともしませんでした。実行犯たちを裁判にかけようとしませんでした。ほかの弱いコミュニティーは、国際社会の見えるところで、民族浄化や人種差別、身分の変更の対象になってきたのです。


ヤジディ教徒や世界中のすべての弱いコミュニティーを守ることは、国際社会の責任であり、人権保護や少数派保護、女性や子どもの権利保護に取り組む国際機関の責任です。紛争や内戦が起きている地域についてはなおさらです。


私はパリ平和フォーラムに参加することを認められました。この会議は、第1次大戦の終結から100年を記念するためのものです。でも、第1次大戦が終わってから、どれだけ多くのジェノサイドや戦争が起きてきたでしょうか?


戦争、特に内戦の犠牲者は数えきれません。世界はこうした戦争を非難し、ジェノサイドを認定してきました。ですが、戦争行為を止めたり、再発を防止したりすることはできませんでした。


確かに、世界には無数の紛争や問題がありますが、一方で、被害者を支える多くの取り組みや、正義を成し遂げるためになされた膨大な努力も存在します。


(ドイツの)バーデンビュルテンベルク州政府と(州政府首相の)クレッチュマンさんのイニシアチブや支えがなければ、私が今日、自由を味わうすることはできなかったことでしょう。ISの犯罪を非難し、ヤジディ教徒たちの苦難の真実について語ることはできなかったことでしょう。正義が実現されるまでの間、すべての被害者に安全な場所を与えられるべきだというのが私の考えです。


寛容や平和を信じる文明社会を育んでいくには、教育が重要な役割を果たします。だから、子どもに投資しなければなりません。なぜなら子供たちは何も書かれていない板と同じで、寛容や共存を、憎しみや宗派主義の代わりに教わることができるからです。女性もまた、多くの問題解決のカギとならねばなりませんし、社会の恒久平和の構築に関わらねばなりません。女性の声と参加があれば、社会を根本から変えることができます。


私はヤジディ教徒であることを、その力と忍耐を、誇りに思います。我々の共同体は何度も標的にされ、存在を脅かされてきましたが、存在する権利を勝ち取ろうと奮闘し続けてきました。ヤジディ教徒の共同体は、平和と寛容を具現化しており、世界の模範とみなされなければなりません。


この機会を借りて、当初から私のメッセージを支持し、広めてくれた人たちに感謝を伝えたいと思います。特に、来る日も来る日も私のそばにいてくれた私のチームに。ヤジディ教徒のジェノサイドを認知してくれた全ての政府、弱い社会に支援の手を差し伸べてくれたすべての政府に感謝します。カナダとオーストラリア、集団虐殺の被害に遭ったヤジディ教徒たちを受け入れてくれてありがとう。ISISの犯罪の国際捜査チーム設立を主導し、支援してくれた英国に感謝します。私たちの目標に人道支援をしてくれたフランスとマクロン大統領に感謝します。この4年間ずっと、国内避難民たちを支援してくれたイラク・クルドの人たちにも感謝します。イラク復興国際会議を主催してくれたクウェート首長とノルウェー政府に感謝します。私の友人、アマル・クルーニーと彼女のチームがISの責任を問うための甚大な努力をしてくれたことにも感謝します。難民たちへの無制限の支援をしてくれたギリシャに感謝します。


不正義や抑圧と闘うために団結しましょう。声を上げ、そして一緒に言いましょう。暴力にノー、平和にイエス、奴隷所有にノー、自由にイエス、人種差別にノー、平等とすべての人々の人権にイエス、と。


女性や子どもの搾取にノー、彼らにきちんとした自立した生活を提供することにイエス、犯罪者を野放しにすることにノー、犯罪者の責任追及と正義の実現にイエス、と。


「同胞たちの希望をお伝えします」 ムクウェゲ医師


1996年10月6日の悲惨な夜、コンゴ民主共和国東部レメラにある私たちの病院が、反政府勢力に襲撃され、30人以上が殺害されました。患者たちはベッドの上で虐殺され、逃げられなかった職員たちも無残に殺されました。


当時の私は、これが単なる始まりに過ぎない、とは想像できませんでした。


99年、レメラを去らざるを得なかった私たちは、東部ブカブでパンジ病院を設立しました。私が現在に至るまで、婦人科医として勤務している場所です。


最初に診た患者はレイプの被害者で、彼女は性器を撃たれていました。


背筋の凍るような暴力は、とどまることを知りませんでした。


悲しいことに、こういった暴力は決して、止まることはありませんでした。


いつものようなある日のことです。病院に1本の電話がかかってきました。電話の向こう側で、同僚が涙ながらに懇願してきました。「私たちのところに早く救急車を! 急いでっ!」と言うのです。


ですので、私たちはいつものように救急車を手配しました。


2時間後、救急車が戻ってきました。車内には1歳半ぐらいの女の子が乗っていました。女の子は大量出血していたため、急いで手術室に運び込まれました。


私が到着したとき、看護師たちはみんなすすり泣いていました。女の子の膀胱(ぼうこう)と性器、直腸がひどく傷つけられていたのです。


それらの傷は、大人の暴行によってできたものでした。


私たちは静かに祈りました。おお、神よ、私たちが目にしているものは真実ではない、これは悪夢だ、と言ってください。私たちが目覚めたとき何事もなかった、と言ってください。


しかし、それは悪夢なんかではありませんでした。それこそが現実だったのです。コンゴ民主共和国の新たな現実になったのです。


別の赤ちゃんが運び込まれたとき、この問題は手術室では解決できないことに私は思い至りました。私たちは、こういった残虐な行為をもたらす根本的な原因と闘わなければならないんだ、と思ったのです。


私は、東部カブムの村に行き、男たちにこう話そうと決心しました。あなたたちの赤ちゃん、娘たち、妻たちをなぜ、守らないんですか? 当局はどこにあるんですか?


驚いたことに、村人は性暴力の容疑者を知っていたのです。その男は州議会の議員で、人々に対して非常に強権的だったため、誰もが恐れていたのです。


数カ月間、その男は民兵を使って村全体を恐怖に陥れました。その方法は、事実の発信に努める人権活動家の殺害でした。副議長であるその男は処罰されませんでした。議会における彼の特権が、刑事責任から免れることを可能にしたのです。


2人の赤ちゃんのあとにも、レイプされた何人もの子どもたちが次々に運び込まれてきました。


48人目の犠牲者が来たとき、私たちは絶望の淵にいました。


私たちは人権活動家とともに、軍事裁判所に向かいました。そうしてやっと、レイプ犯は強姦(ごうかん)罪で起訴され、人道に対する罪として裁かれたのです。


カブムに住む赤ちゃんに対するレイプは止まりました。そして、パンジ病院にかかってくる電話も鳴りやみました。しかし、こういった被害を受けた赤ちゃんの心理的、性的、そして生殖上の健康状態は、残酷なまでに損なわれています。


カブムをはじめ、ベニやカサイといったコンゴ民主共和国の他の場所でも、レイプや虐殺が今でも起こり続けています。その理由は何か。法の支配が及ばず、伝統的な価値観が崩壊しているからです。権力者は罪を免れることができるのです。


レイプ、虐殺、拷問、広範囲な社会の不安定、教育機会の甚だしいほどの欠如は、過去にないほどの暴力の連鎖を生み出しています。


こういった道を外れた、仕組まれた混乱が人類にもたらす代償は、数十万人の女性に対するレイプ、400万人を超える国内避難民、そして600万を超す人々の命を失うことでした。想像してください。デンマークの総人口に相当する人数が、殺されてきたのです。


国連の平和維持部隊と専門家たちに対しても容赦ありません。彼らのうち何人かは、任務の途中で殺されました。国連は今でも、コンゴ民主共和国で、状況の悪化を防ごうと活動しています。


私たちは彼らに感謝しています。


ところが、彼らの努力があったとしても、犯罪者が訴追されなければ、この人類の悲劇は続くでしょう。犯罪の野放しを許さないための闘いこそが、暴力の連鎖を打ち砕ける方法でしょう。


私たちには、歴史の流れを変える力があります。闘うための信念が正しいものであれば。


お集まりのみなさま、私は、コンゴ民主共和国の人々の名のもとに、ノーベル平和賞を受けます。この賞は、性暴力の被害を受けた世界中の人たちに捧げられるものです。


私は慈愛の心でここに立ち、紛争下で性暴力の被害を受けた人たちの声をはじめ、私の同胞たちの希望をお伝えします。


私はこの機会に、何年にもわたって私たちの闘いを支えてくれた仲間に感謝の気持ちを伝えたいのです。なかでも、友好国の協会や組織、同僚、私の家族、そして私の大切な妻マデレインに感謝しています。


私はデニ・ムクウェゲです。この星で最も豊かな国のひとつから来ました。しかし、私の国の人々は、世界で最も貧しいのです。


煩わしい現実があります。ゴールドやコルタン、コバルトといったあり余るほどの天然資源が、戦争や過激な暴力、絶望的な貧困の原因だという事実です。


私たちは素敵な自動車、宝石、おもちゃが大好きです。私自身、スマートフォンを持っています。これらのものには、私たちの国で見つかった鉱物が使われています。ときには、鉱物の採掘は、子どもたちのほか、脅迫や性的暴力の被害者といった非人間的な状況下にある人たちの手で行われていることがあります。


電気自動車を運転するとき、スマホを使ったり、宝石に見とれたりしているとき、こういったものが作られる際の人的な代償について少しだけ、思いを巡らせてみてください。


私たちは少なくとも消費者として、こういった製品は人間の尊厳に向けられる敬意とともに作られているのだ、ということを忘れずにいましょう。


悲劇から目を背けることは、共謀していることと同じです。


責任を問われるのは、犯罪の実行犯だけではありません。直視しないことを選んだ人も含まれるのです。


私の国は、「指導者になる」と訴える人々によって組織的に略奪されています。彼らの権力や富、栄光のために略奪されているのです。そういった略奪の結果として、極度の貧困にうち捨てられた無実の男性や女性、子どもたちが数百万人もいるのです。その一方で、私たちの鉱物から得られた利益は、一握りの貪欲(どんよく)な指導者たちのポケットに入っておしまいです。


これまでの20年間、私がパンジ病院で見てきたものは、機能不全に陥った国家が招いた悲惨な結末です。


赤ちゃん、女の子、若い女性たち、母親たち、おばあちゃんたち、そして、男性や少年たちもまた、燃えているプラスチックやとがった物体を生殖器に押し込まれ、性的暴行されてきたのです。それも、公然と、集団暴行されるのです。


これ以上の詳しい話は、ここでは控えます。


コンゴ民主共和国の人々は20年以上にわたり、国際社会が知る中で、侮辱され、虐待され、そして虐殺されてきました。


非常に発達した通信技術が使える現代において、誰一人として「知らなかった」とは言えません。


ノーベル平和賞の受賞により、私は世界に対して目撃者になることを呼びかけます。私たちに共通の人間性を損なわせる苦しみに終止符を打つため、私たちに加わるよう促します。


私の国の人々は死にもの狂いで平和を求めています。


しかし……


どのように、共同墓地の上に平和を築くのでしょうか?


どのように、真実や和解がないなかで平和を築くのでしょうか?


どのように、正義や賠償がないなかで平和を築くのでしょうか?


こうして話している最中にも、ニューヨークにあるオフィスの引き出しで、ある報告書にカビが生えています。これは、コンゴ民主共和国で起きた戦争犯罪や人権侵害に関する専門調査の結果、まとめられた下書きです。この調査では、犠牲者の名前や現場の住所、日付が明らかにされています。しかし、実行犯の名前はありません。


国連人権高等弁務官事務所によるこの報告書は、617以上の戦争犯罪や人道に対する罪、さらには集団虐殺さえも含まれているようです。


この報告書を検討せずして、世界は何を待っているのでしょうか? 正義なくして永続的な平和は存在しません。


コンゴ民主共和国やその周辺国で何が起こっているのか、注意深く公平な目で見る勇気を持ってください。


広がり続ける災厄を食い止めるため、人道に対する罪を犯した者の名前を明らかにする勇気を持ってください。


私たちの過去の過ちに向き合う勇気を持ってください。


真実を述べ、記憶し、追悼する勇気を持ってください。


親愛なるコンゴ民主共和国のみなさん、私たちの運命は自分たちで定める勇気を持ちましょう。国の未来や平和を築き、アフリカにとってよりよい未来をともにつくりましょう。私たち自身の手でやるしかないのです。


平和を愛する皆様。私が今日描いた絵は暗い現実です。しかし、ここでサラの話をお伝えします。


サラは危機的状況で病院に運ばれました。サラの住む村は武装集団の攻撃に遭い、彼女以外の家族全員が虐殺されました。


人質として森に連れて行かれ、裸で木に縛り付けられたサラ。そこで意識を失うまで毎日、集団で性的暴行を受けました。


戦争の武器として使われる、そうしたレイプは被害者と家族、そして地域を破壊します。つまり社会構造を破壊するのです。


彼女が病院に着いた時、サラは歩くことも、自分の足で立つことさえも出来ず、排泄(はいせつ)も不自由でした。


性器、膀胱(ぼうこう)、消化器に重い傷を受けた彼女が将来、自分の足で歩くことが出来るとは想像していませんでした。


時が経つにつれ、サラの目には生きる希望が輝き始めました。日々が過ぎていく中で、希望を見失わないよう医療関係者を励まし続けたのはサラでした。


サラは美しく、笑顔にあふれ、強く、魅力的な女性です。


今サラは、彼女のような悲惨な経験から生還した人々を助けることに尽力しています。


サラは、私たちの被害者が元の生活に戻る手助けをする「ドーカス・トランジット・ハウス」から、生活再建のために50ドルを受け取りました。


現在、サラは小さなビジネスをしています。彼女は購入した土地にパンジ財団の手助けで屋根を張り、小さな家を建てました。独立した彼女は誇りを持っています。


彼女の経験は、どんなつらく絶望的な状況でも決意を持てば、トンネルの先に希望があると見せてくれています。


もしも、サラのような女性があきらめないなら、誰があきらめることができるのでしょうか。


これはサラの物語です。サラはコンゴ民主共和国の人ですが、中央アフリカ、コロンビア、ボスニア、ミャンマー、イラク、そして世界中の多くの紛争国にサラのような人たちがいます。


パンジ病院で私たちは、医療面や精神面だけでなく、社会経済的そして法的なものも含む、総合的なケアをしています。それは回復への道が長く困難でも、被害者が苦しみを力に変える可能性があることを示しています。


彼ら被害者は、前向きな変化を社会にもたらす仲介者になることができるのです。それは既にブカブのリハビリ施設「シティー・オブ・ジョイ」で起きています。そこでは女性たちが自分たちの運命を取り戻すための支援を受けています。


しかし、自分たちだけで達成することは出来ません。私たちの役割は彼女たちの話を聞くことです。そして今日、私たちはナディア・ムラドさんの言葉を聞くのです。


親愛なるナディア。あなたの勇気、大胆さ、私たちに希望を与える能力は、世界中の人々や、私個人を奮い立たせる源となっています。


今日、私たちに授与されたノーベル平和賞は、世界中にいる性暴力の被害者の生活が確実に変わり、私たちの国々の平和の回復につながった場合に初めて、価値あるものになります。


では、私たちは何をすればいいのでしょうか。あなたは何が出来るのでしょうか。


まず第1に、私たち全員が同じ方向を向いて行動することが重要です。行動とは選択なのです。


私たちが女性に対して暴力を止めるのかどうか。平和の時にも戦時にも男女の平等を促進する、良い意味での男らしさを発揮するかどうか。その選択です。


女性をサポートするのかどうか、彼女を守るのかどうか、彼女の権利を守るかどうか、紛争で荒廃した国々で彼女のそばで戦えるかどうか、といった選択です。


紛争国で平和を構築するかどうかの選択です。


行動を起こすことは、無関心に対して「ノー」と言うことを意味します。


もし戦争が起きれば、それは私たちの社会に巣くう無関心との戦争なのです。 第2に、私たちは、これらの女性とその愛する人たちに借りがあります。私たちは皆、この闘いに参加しなければなりません。性的暴力を容認する指導者を歓迎することをやめなくてはいけません。


国家はそういった指導者にレッドカーペットを敷くのではなく、戦争の武器としてレイプを使用することに反対するレッドラインを引く必要があります。


この赤い線は、これらの指導者に経済的、政治的制裁を科し、裁判所に連れて行くことになります。


正しいことをすることは難しくありません。それは政治的意思の問題です。


第3に、私たちは性暴力を経験した女性の苦しみを認め、総合的な回復を手助けしなければいけません。


私は被害者への賠償が必要だと訴えます。生存者に満足な補償を与え、新しい人生を始められるようにするのです。それは人間の権利です。


私は、武力紛争における性暴力被害者の賠償のため、世界的な基金を創設する支援を各国に要請します。


第4に、コンゴ民主共和国で起こった虐殺により夫を亡くしたすべての妻、妻を失った夫、両親を失った孤児、そして愛と平和とともにある全てのコンゴ人を代表し、私は世界に呼びかけます。国連人権高等弁務官事務所がまとめた、コンゴ民主共和国での戦争犯罪の件数や犠牲者の名前、犯行現場などを記した報告書と、その勧告内容を検討するようにと。


正義が勝ちますように。 この報告書は、コンゴ民主共和国の人々が愛する人に涙し、死を嘆き、拷問した人々を許し、苦しみを乗り越え、穏やかな未来に自分自身を投影することを可能にします。


最後になりますが、この20年間に流血や性的暴行、人々の大規模な避難を経験したコンゴ民主共和国の人々は、政府が市民を守る責任を負うことを切実に待っています。ですが、政府はそれをする能力がない、あるいは、そうする意欲を持っていません。人々は永続的な平和を待ち望んでいます。


平和が達成されるには、自由で透明性があり、信頼でき、平和な選挙が支持されなければいけません。


「コンゴ民主共和国の皆さん、一緒に働きましょう!」。アフリカの中心で、政府が人々に奉仕する国を作りましょう。法の支配の下にある国家を。全ての政治、経済、社会の行動が国民中心であり、コンゴ民主共和国だけではなくアフリカ全体の持続的で調和のある発展を。そして、全ての市民の尊厳を回復させるのです。


課題は明らかです。それは私たちの手の届くところにあります。


すべてのサラ、コンゴ民主共和国のすべての女性や男性、子どものために、このノーベル平和賞を私の国の人々に授与するだけではなく、立ち上がって大声で叫びましょう。「コンゴ民主共和国での暴力は、もうたくさんだ。今こそ、平和を」と。


ありがとうございます。



 

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