ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に、「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」の登録が決まった。構成する8県の計10件は、いずれもユニークな伝統行事ばかり。中でも、見た目の怖さが突出しているのが、鹿児島の来訪神だ。
トカラ列島の悪石(あくせき)島(鹿児島県十島村)の奇祭「ボゼ」をこの夏、訪ねた。鹿児島港から週2~3便のフェリーで10時間余り。切り立った岸壁に囲まれた絶海の孤島は40世帯足らず、人口80人ほど。ここに年に一度、異形の神が出現する。
8月26日は旧暦のお盆の最終日だった。夕暮れ時、集落ではもの哀(かな)しげな調べの盆踊りが催されていた。午後5時を回ろうとするころ、公民館に集まった群衆の前に、3体のボゼが突然、なんの脈絡もなく乱入してきた。
らんらんと光る真っ赤な目。カッと開いた大きな口。鼻は不自然に細く長く、頭上に飛び出した飾りは眉だろうか、まぶただろうか。ストライプが縦に入った奇妙な上半身とビロウの葉をまとった下半身。海のかなた、どことなく南方世界の雰囲気さえ漂う異形の神である。
ボゼマラと呼ばれる杖を持って、激しく島民を追い回す。杖の先についた赤土を塗られると、悪魔払いになるという。浴衣姿の子供たちは叫び声をあげて逃げ惑い、あたりは騒然となる。その間10分ほどだったろうか。闖(ちん)入者は再び異界へと消えていった。
◇
ボゼは「来訪神」10件の中でも、そのユニークな造形で群を抜く。島民でつくる「悪石島の盆踊り保存会」に来歴を尋ねてみたが、よくわからないという。民俗学者、折口信夫の言う「まれびと」、つまり常世からの来訪神には違いないようだが、その姿形は実に奇怪だ。十島村のパンフレットには、死霊臭ただよう盆から、人々を新たな生の世界へよみがえらせる役目を負っている、とある。島民があの世の祖霊とともに過ごしたお盆の幕引きを担い、人々を日常に引き戻す存在なのだろう。
閉鎖的な環境の中でひっそりと受け継がれてきた秘祭も、ユネスコへの登録で世界の注目を集めることになりそうだが、祭りの存続に不安がなくなったわけではない。悪石島でも、過疎化に伴う後継者不足、生活様式の画一化で伝統文化や風習が薄れつつある。体力を要するボゼのかぶり手を若者がいつまで引き受けてくれるか心配は尽きない。
悪石島自治会の有川和哉会長は「維持が難しくなってきているのは事実。これからどう引き継ごうかと考えているところです」と顔を曇らせる。
保存会の有川和則会長によると、かつては集落を4班に分けてそれぞれ1体ずつボゼを作っていた。姿形も微妙に異なり、個性があったそうだが、今では全体でまとまって3体が精いっぱいだ。先行きに不安もあるが、「先祖代々伝えられてきた宿命的なものだから、続けていきますよ。子供たちに伝承していきたいから」と話した。
◇
9月11日深夜、薩摩硫黄島(鹿児島県三島村)の集落。宴会の続く民家の雨戸が突然、ガタガタと外から揺さぶられた。
「来たか」と家のあるじが声を上げたのと同時、巨大な仮面をかぶった神メンドンが居間に乱入。手にした木の枝で、宴会中の人々を片っ端からたたき始めた。悲鳴やら皿の割れる音やら大騒ぎだが、たたかれた人はみな笑顔だった。
毎年旧暦8月、2日間にわたって催される厄払いの行事。夕方、島に伝わる「硫黄島八朔太鼓踊り」が盛り上がるころ、集落の中心にある熊野神社から、真っ赤な仮面のメンドンが飛び出して来る。2日目の夜が更けるまで、集落中をまさに神出鬼没。突然現れては、木の枝で人々をたたいて邪気を払うとされる。
硫黄島八朔太鼓踊り保存会の徳田保会長(64)は「島の伝統行事が認められるのはうれしいが、これまで以上に継承の責任を感じている」と話す。
その名が語る通り、かつては硫黄の産出でにぎわった島も、採掘終了とともに人が去り、現在の人口は約130人。メンドンに扮したり、太鼓踊りの踊り手を務めたりする若者も減り続けている。保存会では、村による畜産業の就労支援に応募した移住者や、山村留学の子どもたちにも声をかけ、伝統行事の担い手として参加してもらっている。
徳田会長によると、今年の踊り手のべ20人のうち、島で生まれ育った人は3割程度という。「島出身の人間だけでは限界がある。無形文化遺産への登録で知名度が上がるのはチャンス。一人でも多くの人にできれば移住してもらい、継承に力を貸してもらえたら」(編集委員・中村俊介、上原佳久)