元ちとせさんが語る平成
「ワダツミの木」でメジャーデビューして2月で17年になります。奄美大島で中学生の長女、小学生の長男と暮らしながら、仕事で東京に行き、東京半分、島半分の生活です。
もうすぐ平成が終わりますね。なんだか過去の人になるような。今も私が古い例えを持ち出すと、平成生まれの子たちから「昭和じゃん」なんて言われます。新しい元号の時代の人からみれば、昭和生まれの私は二つ前の時代の人になるわけですから。
私が生まれ育ったのは、30世帯くらいの奄美大島の南部の集落です。小学校は複式学級で全校生徒は4人。水泳の授業は川でした。屋根の上にふとんをしいて海の波音を聞きながら満月を眺め、山で拾った鳥のひなを育てたらタカになった。男の子のようなやんちゃな子でした。
母親は大島紬(つむぎ)の織元で、私はハイハイの頃から織物工場にいて、トントンという織り機の音にまざり、シマ唄のレコードが流れていたのを覚えています。
奄美では、シマ唄のシマは集落…