昨年7月の西日本豪雨の発生から6日で半年を迎えた。土石流で12人が亡くなった広島県熊野町の住宅団地「大原ハイツ」では6日午前、住民らが集まり、犠牲者を追悼した。
大原ハイツ周辺は、現在も山肌がえぐれたままで、土囊(どのう)が幾重にも積まれている。家屋跡の更地には多くの花が供えられている。
住民有志が設置した献花台には遺族や住民が次々に訪れ、花を手向けて黙禱(もくとう)したり、自宅のあった方角へ手をあわせたりした。
桐岡幸恵(きりおかゆきえ)さん(71)は自宅が土砂に流され、夫の勝治(かつはる)さん(76)を亡くした。夫は孫が野球をする姿を見るのを楽しみにしていた。「孫の成長を見せてやれないのはつらい」
幸恵さん自身も流木などに体を挟まれて重傷を負って入院した。現在は町内の県営住宅で独り暮らし。「夫がいないのは寂しい。家を建て直すわけにもいかないし、団地には戻らないと思う。でも慣れ親しんだ人たちと会えるから、地域の見守り活動などで手助けしていきたい」と話した。
総務省消防庁と豪雨で死者が出た14府県によると、昨年11月時点で直接死は計222人。関連死の13人を含めると235人が亡くなった。行方不明者は広島県5人、岡山県3人、愛媛県1人。被害が集中した広島、岡山、愛媛3県の住宅被害は、朝日新聞の昨年12月14日時点のまとめで全壊6609棟、半壊1万108棟、一部損壊3328棟、床上浸水6245棟、床下浸水1万4852棟。(原田悠自)
北九州の現場でも
西日本豪雨から半年を迎えた6日、土砂崩れで2人が亡くなった北九州市の現場では、地域の住民が花を手向け、静かに手を合わせて追悼した。
昨年7月6日朝、北九州市門司区奥田1丁目の西邑一雄さん(当時68)宅の裏山が崩れ、西邑さんと妻の加代さん(同61)が亡くなった。
町内会長の二家(にけ)秀俊さん(69)は、西邑さん宅の車庫に設けた祭壇に花とお茶を供えた。近くの女性(72)は「足の良くない加代さんの介抱を一雄さんが頑張っておられた」としのんだ。
周辺には解体待ちの被災家屋や、土がむき出しとなった斜面が残る。復旧工事は徐々に進みつつあるが、台風などのたびに二家さんがハンドスピーカーで早めの避難を呼びかけて回る。「早く皆が安心して住めるようになってほしい」(竹野内崇宏)