2027年のリニア中央新幹線の開業をにらみ、発展を続ける名古屋駅。駅で売られる駅弁もまた、平成の変化の波にさらされてきた。激化する競争に立ち向かう老舗駅弁屋の生き残り策とは――。
リニア中央新幹線
名古屋駅、変わりゆく街
駅弁が売れた時代
彩り豊かな弁当の写真が残っている。カニかまをのせたカレーピラフに、ベーコンをあしらった味付けご飯のおむすび。鶏肉やがんもどきなどのおかずに串が刺してある。
名古屋駅で駅弁を製造販売する松浦商店(名古屋市中村区)が、1987(昭和62)年に売り出した「トッピングオムズ」。「新幹線で食べられる駅弁」をテーマに展開されたキャンペーン「新幹線グルメ」の一環で、東京―新大阪間の各駅の駅弁業者が腕を競った。「オムズ」は「はしを使わなくても手軽に食べられる」がコンセプト。平成の半ばまで売られた。
「手間がかかりすぎて工場内に専用の調理室もできた。今ではできないでしょうね」と常務の幅春久さん(59)が振り返る。幅さんが入社したのは91(平成3)年。会社の事務所や工場は名駅西口にあり、商品搬入などで駅には数え切れないくらい行き来した。
当時の駅舎は築50年以上の歴史があった。駅構内には床屋や銭湯もあり、松浦商店の直売店もあった。「周りにコンビニがなかった時代。駅弁は今より5~6倍の個数が売れた」
「デパ地下」がライバルに
松浦商店は22(大正11)年創業。元は料亭で、別の商店から駅弁の経営権を譲渡されたのを機に、駅弁の製造販売を手がけるようになった。昭和を生き抜いてきた名駅で最も古い老舗にも、平成の波は容赦なく押し寄せていた。
幅さんは「87年の国鉄民営化による変化が大きかった」。民営化で駅構内の開発が進み、ライバル企業が多く出てくることが予想された。
4、5種類の弁当しかなかった会社は、「オムズ」以外にも様々な商品開発を進めた。地元の「名古屋めし」にも注目。89年には名駅初のみそカツ弁当「丼々しま専科」も売り出した。
99年には駅ビル「JRセントラルタワーズ」が完成、翌年にはJR名古屋高島屋が開業する。平成初期のJR名古屋駅の乗客数は年間で5千万人ほど。今は約7600万人に増えた。列車の利用者だけでなく、「名駅」そのものを目指して来る人が一気に増えた。
「デパ地下」もライバルに。駅弁の多様化は加速する。「列車で食べるだけでなく、家でも食べてもらえるような弁当を意識するようになった」
専務の松浦浩人さん(35)は2009年に入社した。3代目にあたる現社長の長男。商品開発にも関わってきた。高層ビルが林立し、おしゃれな飲食店が立ち並ぶ名駅周辺の再開発は、駅弁をさらに大きな競争に巻き込む。売り上げが減少傾向の中、大ヒット商品は生まれた。12年の「松阪牛めし」だ。
この頃から、「売れ筋は、主菜が前面に出た、コンセプトの強い弁当に変わっていった」と松浦さん。特に売れるのは牛肉。名駅で同社が販売する19種類の駅弁のうち、3種類は「松阪牛」の名を冠する。
リニア開通で車内食は軽食ばかり?
一方で、変わらないものも。同社の代表作の鶏飯弁当「天下とり御飯」(旧「特製とり御飯」)はマイナーチェンジを繰り返しながらも80年以上続くロングセラー。今でも最も売れる商品は、東海道新幹線が開業した64年に発売された幕の内弁当「なごや」だ。
「昔ながらの商品が売れるのは、指名買いしてくれるリピーターがいるから。これらを越える商品を作りたいが、『ひつまぶし』でもまだ追い越せない」
伝統と、時代に合わせた変化で平成を生き抜いてきた。新時代も、巨大な波が待ち受ける。27年開業予定のリニア中央新幹線だ。
東京―名古屋間は約40分で結ばれる。「車内食は軽食ばかりになる。指をくわえていれば駅弁屋はつぶれる」と松浦さん。次の時代を見据え、新たな展開を模索し始めている。
「駅弁」で親しまれた味、培ったノウハウや食文化を強みに、駅以外にも事業を展開していく構想を持つ。これまでも仕出しやスクールランチにも携わってきたが、さらに総菜屋を展開するなどのビジョンを描いている。
「名古屋の味を守ってきたという自負がある。食べてもらう機会をいかに開拓していくか。名駅と一緒に、松浦商店も『変化の時』なんです」(中野龍三 中野龍三)
名古屋駅を巡る動き
昭和62年(1987年) 国鉄民営化で、JR東海発足
平成元年(89年) 名古屋市営地下鉄桜通線開業
平成4年(92年) 東海道新幹線「のぞみ」が営業運転開始。一部ダイヤで名古屋駅に停車しない「名古屋飛ばし」が騒動に
平成11年(99年) 駅ビル「JRセントラルタワーズ」完成
平成12年(2000年) JR名古屋高島屋開業
平成16年(04年) あおなみ線開業
平成18年(06年) ミッドランドスクエアが完成。以降も名古屋ルーセントタワー、モード学園スパイラルタワーズなど高層ビルの建設が相次ぐ
平成23年(11年) リニア中央新幹線の整備計画決定
平成27年(15年) 新しい大名古屋ビルヂング、JPタワー名古屋完成
平成29年(17年) JRゲートタワー完成
(27年) リニア中央新幹線開業予定
取材後記 新時代の駅弁の姿とは?
東北から名古屋に異動してきた2013年、久しぶりに降り立った名駅の繁栄に目を見張った。あれから6年、名駅はさらに発展を続けている。
松浦商店にとって、最初の大きな変化は「新幹線の登場」だった。窓が開かない新幹線は、立ち売りだった駅弁を様変わりさせた。それでも旅行客の増加を背景に、駅弁は売れ続けた。
幅さんも松浦さんも「今が一番大変な時期」と口をそろえる。しかし、平成を乗り越えてきた駅弁は新しい時代にも立ち向かっていくに違いない。ビール片手に駅弁を車内でがっつくのは、やはり何事にも代えがたい。(中野龍三・45歳)(中野龍三 中野龍三)