震災で被災したまま残されていた名取市消防署閖上出張所(宮城県名取市閖上)の解体が、今月始まる。大地震の後、出動した消防職員3人が津波にのみこまれた。多数の犠牲者を出した街であの日、何が起きたのか。教訓を伝える建物がまた姿を消す。 出張所員8人中3人が午前8時半から翌朝まで当直に入る。2011年3月11日も、そうだった。 地震12分後の午後2時58分、3人は巡回に出動した。ポンプ車(閖上1)と市消防本部が交わした無線交信記録(抜粋)によると――。 15:03【閖上1】大津波警報は発令しているんですよね? 15:03【名消本部】はい発令中です。どうぞ。 15:03【閖上1】海岸等避難(誘導)します。 15:03【名消本部】十分気をつけてください。 15:03【閖上1】津波到達予想時刻は入っていますか。 15:03【名消本部】テレビの情報ですが、15時約6メートルです。 15:03【閖上1】了解。 橋の道路が壊れていたため、徒歩で海岸まで行き、サイクルスポーツセンターの従業員が全員避難したことを確認。釣り人転落の連絡を受け、移動しながら捜した。 無線が緊迫するのは、午後3時半すぎ。消防本部は潮位計のデータなどから「引き潮発生」を告げ、繰り返し注意を呼びかけた。 15:44 名消本部から閖上出動各隊。津波発生の恐れあります。直ちに引き揚げてください。 直後に閖上1は「閖上公民館に退避する」と応答。最後の交信になった。 ◇ 所員の1人、石川康裕さん(5… |
あの日、閖上で起きたこと 消防の悲劇語る出張所解体へ
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