1943年、米カリフォルニア州にあったマンザナール強制収容所で列に並ぶ日系人。同収容所には約1万人が収容された=ロイター
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第2次大戦中、アメリカ国内にいる日系人を強制収容所送りにした「大統領令9066号」。2月19日で発令から77年を迎え、その日は「追憶の日」としても知られている。日系人として初めて閣僚を務めた元下院議員ノーマン・ミネタさん(87)にとっても、母国に「裏切られた」忘れられない日だ。そんなミネタさんは今、アメリカ国内における社会の分断や人種間の亀裂が「戦後最悪だ」として、警鐘を鳴らしている。どのような思いが、ミネタさんを駆り立てているのだろうか。
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数多い「日本人初」
2018年11月上旬。全米の日系人を束ねる団体「米日カウンシル」の年次総会が、東京都内のホテルで開かれた。参加者から万雷の拍手で迎え入れられ、手押し車を使ってゆっくりと壇上に現れたミネタさん。穏や物腰柔らかな表情で手を振りながら、笑顔を振りまいていた。「私は元気全開。まだまだ働きますよ」
「アメリカの大都市で市長になった初の日系人」、「アメリカ本土から選出された連邦議員で初の日系人」「閣僚を務めた初の日系人」――。「日系人初」という枕ことばが数多くつくミネタさんは、日系人初の連邦議員(ハワイ州選出)になった故ダニエル・イノウエさんと並んで、日系人社会を引っ張ってきた大御所だ。
インタビューに応じるノーマン・ミネタさん=2018年11月、東京都内、軽部理人撮影
年次総会が開かれたこの日は、ミネタさんの伝記映画“An American Story:Norman Mineta and His Legacy”(「あるアメリカ人の物語:『ノーマン・ミネタと彼の遺産」』、日本公開は未定)が昨年、米国で完成したことを受け、その試写会も兼ねられていた。幼少時代に過ごした強制収容所から政界での活躍を描いた映画で、ミネタさんが閣僚を務めていた時の上司であるクリントン元大統領やブッシュ(子)元大統領にもインタビューをしている力作だ。
監督を務めた日系人のダイアン・フカミさんによると、ミネタさんに初めて映画制作を打診したのは06年ごろ。だが、ミネタさんの返事は常に同じだった。“I’m just a regular Joe”(「私はただの『「普通の人』」)。結局、説得を続けたフカミさんの努力が8年越しで実り、14年に制作を開始した。
ミネタさんはその理由について…