マラソンの金栗四三(かなくりしそう)(1891~1983年)とともに1912年ストックホルム五輪に出場し、日本初の五輪選手となった三島弥彦(やひこ)(1886~1954年)。NHK大河ドラマ「いだてん」で生田斗真が演じる三島弥彦について、孫の通利(みちとし)さん(67)の自宅で日記や写真などが大量に見つかり、このほど「日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦」(尚友倶楽部、内藤一成、長谷川怜編集、芙蓉書房出版)にまとまった。
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大河ドラマで女学生に大人気のスポーツマンとして描かれている弥彦は、薩摩藩士で警視総監を務めた子爵三島通庸(みちつね)の五男。学習院中等、高等学科の頃から野球部の投手として鳴らしたほか、陸上短距離、ボート、水泳、柔道、相撲、スキー、スケートなど多競技で活躍した。東京帝大に進んでから本格的に始めた陸上短距離で頭角を現し、11年に羽田競技場で行われた五輪予選会に金栗らとともに出場し、100、400、800メートルで1位に輝き、翌年の五輪代表に決まった。
五輪帰国後の試験を心配
今回、通利さんの自宅からは、羽田で開催された予選会の時の記録証やストックホルムへの経由地ウラジオストックへ向かう船上で金栗らとともに写した写真、ストックホルム五輪の開会式の写真のほか、日記や五輪時に家族にあてた手紙などが見つかった。
三島はストックホルム五輪では100、200メートルで予選落ち、400メートルは準決勝棄権に終わった。家族宛ての手紙には「競走はとうとう敗けてしまいました。米国の人が殆ど走りこでは皆勝ちました」(原文のまま)と淡々とつづった。レース前に兄の弥太郎(当時・横浜正金銀行頭取、後に日本銀行総裁)に向けた手紙には、右足を痛めたこと、本を読む暇もなく、帰国後の試験が心配なことなどを書いている。
弥彦は五輪の翌年、東京帝大を卒業し、横浜正金銀行に入行。サンフランシスコ、ロンドン、北京など世界各地の支店で勤務し、スポーツ界とは一線を画すことになる。弥彦の長男の妻まり子さん(93)は晩年の弥彦について「私が聞くまで五輪に出場したことさえ話さなかった。聞いたら『出たよ』ってそれっきり」。自らの功績を進んで口にすることはなかったようだ。まり子さんは、フランス語をはじめ語学が堪能で、1964年の東京五輪の際は、当時のブランデージIOC委員長の秘書を務めるなど、弥彦の死後も五輪とのつながりがあった。
家族が写真を保管、本に生かす
弥彦は54年に69歳で亡くなる。当時まだ2歳だった孫の通利さんに、祖父の記憶はない。今回、弥彦の生涯が本にまとまり、通利さんは「様々なスポーツに挑戦し、海外で見聞を広げた祖父のパイオニア精神に感銘を受ける。大河ドラマにも取り上げられるのは一族として不思議な感じ。弥彦も含め、埋もれていた歴史に日が当たるのは光栄です」と話している。
本の編集にあたった長谷川怜さん(愛知大学国際問題研究所客員研究員)は「忘れられていた著名人を掘り起こすことができたのは大きな成果。三島家が写真などを大切に保管していたおかげで、弥彦の姿を現代に示すことができて良かった」と話している。(堀川貴弘)