群馬県長野原町の川原湯温泉で毎年行われている湯かけ祭りの1940年ごろの映像が、朝日新聞社が子ども向けに作製した映像ニュース「アサヒホームグラフ」に残っていた。温泉街は、国が進める八ツ場ダムの建設に伴い高台に移転。ダム構想が浮上したのは戦後で、そんな話がない時代の祭りの風景に、参加者は「当時の様子が見られるのは貴重だ」と話した。
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400年の歴史
湯かけ祭りは、川原湯温泉で毎年大寒の日の明け方に行われる行事だ。約400年前、枯れかけた温泉が再び湧いたことを喜び、互いに湯を掛け合ったのが起源といわれている。
紅白2組に分かれた町内外の男性たちが、共同浴場「王湯」の浴槽にあるお湯をおけでくみ、外に出てきて相手方に勢いよく掛ける。湯を掛ける際の「お祝いだ」の掛け声は「お湯わいた」が変化したともいわれる。
新天地で5回目
移転後も祭りは続けられ、「新天地」での祭りは今回が5回目だ。今年も1月20日の大寒の日に、零下10度近い冷え込みの中、ふんどし姿の男性約60人が温泉の湯を掛け合った。勢い余って観客にも湯が掛かるが、掛けられた人は1年無病息災で過ごせる、とも言われる。
「アサヒホームグラフ」に残っていた映像は60秒ほど。湯が入ったおけを手にした男衆が階段を駆け上がり、威勢よく湯を掛け合う。周囲が湯気で見えにくくなる光景は、今と変わらない。
祭りの実行委員長で、川原湯温泉協会の樋田省三会長(54)に映像を見てもらった。「(この時の祭りを)タイムスリップして見てみたい」と映像に見入った樋田さん。「このときは、そろいの手ぬぐいを頭にかぶっている。そこは今と違いますね」。樋田さんは祭りの細部の違いも目ざとく見つけた。
「この神職は」「この旅館は」
樋田さんの勧めで、祭りの直会(なおらい)が行われている会場に映像を持ち込んだ。世話役の人たちが映像を見つめ、「この神職はだれかな」「ここの旅館はどこだ」などと話が弾んだ。
樋田さんは「場所は変わっても、祭りは変わらない。これからもどんどん若い人たちに参加してもらって、祭りを盛り上げていきたい」と話した。(寺沢尚晃)
GHQに接収、紆余曲折経て
アサヒホームグラフ(当初はアサヒコドモグラフ)は朝日新聞社が1938~43年に制作した子ども向けニュース。映画館などで上映され、フィルムは戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されるなどして米国に渡った。その後返還された32回分が、国立映画アーカイブ(旧・東京国立近代美術館フィルムセンター)に所蔵されている。朝日新聞が数年前から調査・整理を進めてきた。
朝日新聞では、アーカイブ映像…