体の筋肉が動かなくなる進行性の難病で、広島県内の自宅で闘病生活を送っている高校の教頭がいる。発病後は、生徒たちに病気のことや命の大切さを語ってきた。昨年の卒業式は生徒が調達したロボットを使って自宅で「参列」、この春は2年ぶりに出席し、教え子たちの門出を祝った。
広島県尾道市の県立御調(みつぎ)高校。電動車いすの長岡貴宣さん(56)=同県三次市=は体育館の最後列から、証書を受け取る生徒たちの姿を見守った。教え子たちにとって最後の校歌斉唱。大きな声を出すのが難しくなった長岡さんも、口ずさむように歌声を合わせた。
広島と故郷・静岡の高校で、剣道の指導に打ち込んできた。2015年春、御調高に教頭として着任。学校運営や進路指導に意欲を燃やした矢先の夏、剣道の防具を着けようとして、背中に左手が回らないことに気がついた。
半年後の16年3月、「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の診断を受けた。「人工呼吸器を使わなければ、余命は2年から5年」。最後は自分で呼吸もできなくなると聞かされた。
薬を飲みながら勤務を続けたが、両足が動きづらくなった。17年春には杖が必要になり、夏からは電動車いすに。
「弱っていく自分の姿を見てほしい」。1学期の終業式で、生徒たちに病気を打ち明けた。病気を抱える人たちへの理解を深めてもらいたいと考えたからだ。
病状は進み、17年末に教頭として在籍したまま休職。看護師の妻と長女の支えもあり、「これも一つの生き方だ」と受け入れられるようになった。心残りは、進路指導してきた当時の3年生が巣立つ姿を見届けられないことだった。
その気持ちをくんだのが2年生だった柴川綾捺(あやな)さん(18)と松木綾香さん(18)。遠くにいてもタブレットを介してマイクやカメラで会話ができ、腕を動かして気持ちを表すこともできるロボットを、開発元の企業に掛け合って貸してもらった。長岡さんは壇上の演台に置かれたロボットの「目」を通じ、証書を受け取る3年生たちの様子を自宅で見守った。
くすぶりがちだった気持ちが勇気づけられた。同じ病気の患者団体に加わり、自治体の職員や医療・介護関係者に病気と向き合う心情などについて語り始めた。御調高でも文化祭や特別授業で講演してきた。
余命宣告から2年半が過ぎた昨年10月。長岡さんはずっと迷っていた人工呼吸器による延命措置を、「その時」が来れば受け入れる決心をした。自力で動けず、家族やヘルパーによる24時間のケアが必要になる。しかし今は、日々のリハビリや団体の活動を精いっぱい続けている。
長岡さんの自宅には、柴川さんらから活動を引き継いだ後輩たちが毎月通ってくる。今年の卒業式は「休んでいても先生は学校の一員」と参列するよう誘ってくれた。
柴川さんは春から、病気や障害のある人たちが過ごしやすい地域のあり方について、県外の国立大で学ぶ。「社会に参加できない人ほど強い思いを持っているはず。一歩踏み出す手助けをしたい」。長岡さんからそう学んだ。元々看護師を目指していた松木さんも進路を変え、介護や福祉について学ぶことにした。
卒業式を終えた2人に長岡さんは一言、「ありがとう」と声を掛けた。2人から花束を受け取り、「10年後、また会えたらいいな」。照れ臭そうに笑った。(橋本拓樹)