福岡県立東筑高校(北九州市八幡西区)の野球部の元監督で、春夏計3回の甲子園に導いた喰田孝一(しょくた・こういち)さんが死去していたことが7日、わかった。83歳だった。
高校3年生だった1953年、全国選手権に捕手として初出場。バッテリーを組んだのは元プロ野球オリックス監督の故・仰木彬さんだった。社会人野球を経て、61年から母校を指揮。いったん退いたが74年に復帰して、94年まで監督を務めた。公立の進学校で練習、勉強に同じ姿勢で臨めと「文武一道」を説き、機動力を重視する攻めは「喰田野球」と言われた。