ロック歌手で、俳優として映画やテレビなどでも活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也〈うちだ・ゆうや〉)さんが17日、肺炎で死去した。79歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れ会を開く。
夫と同居あの世で…樹木希林の語る半生「上出来でした」
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所属事務所は18日、「この数年、闘病の日々でした。それでもユーモア、ウィットを忘れず、時には世の中を憂い、怒り、常に自分の出来る事を模索しておりました。多くの友人知人、家族に支えられて、Rock‘n’Roll人生を全うすることが出来ました事をここに心よりお礼申し上げます」とのコメントを出した。40年以上別居していた妻で俳優の樹木希林さんが、昨年9月に死去したばかりだった。
兵庫県出身。ジャズ喫茶で歌手としてならし、ロカビリーブームの中、1959年に日劇ウェスタンカーニバルでロック歌手としてデビュー。67年に欧州に渡り、3カ月間、海外のロックシーンを体験し、帰国後、音楽プロデューサーとしても活躍。世界に通用するロックバンドを意識し、「フラワー・トラベリン・バンド」などを手がけた。
70年代には、西洋発のロック音楽を日本語で歌ったバンド「はっぴいえんど」に対し、英語で歌うべきだと主張。「日本語ロック論争」として、音楽ファンを巻き込んだ論争を巻き起こした。日本のロックシーンをリードし、「ロックンロールってのはただ音楽の名前じゃなくて、生き方のことだ」などと語っていた。
73年からは「打倒NHK紅白歌合戦」を掲げて大みそかの夜にオールナイトコンサートを開き、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドや沢田研二さんら、数多くのミュージシャンが参加。後に「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」と名を変え、今も続いている。
役者としても活躍した。77年の映画「不連続殺人事件」に出演したほか、83年の「十階のモスキート」では主演と脚本を担当。86年の映画「コミック雑誌なんかいらない!」では、キネマ旬報主演男優賞などを受賞し、高い評価を得た。その後も、91年の東京都知事選に出馬して話題を呼んだり、テレビなどに出演し、芸能界の「ご意見番」として辛口のコメントをしたりするなど、お茶の間に親しまれた。
73年に俳優の樹木さんと結婚したが、1年半後に別居。その後も40年以上同居することはないまま昨年9月に樹木さんが死去した。内田さんは追悼コメントを発表し、「人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」などとつづっていた。
長女はエッセイストの内田也哉子さんで、その夫は俳優の本木雅弘さん。