「ショーケン」の愛称で親しまれた歌手・俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名萩原敬三〈はぎわら・けいぞう〉)さんが、26日午前、消化管間質腫瘍(しゅよう)のため東京都内の病院で死去した。68歳だった。葬儀は親族だけで営まれた。故人の遺志で、お別れの会の予定はないという。
萩原健一さん「ストーンズ聴いて、あ、オレこっちだ」
特集:「ショーケン」萩原健一さん死去
所属事務所によると、萩原さんは、悪性腫瘍の一種である消化管間質腫瘍で11年から闘病していたが、容体が急変した。本人の強い希望で病名の公表を控えていたという。
埼玉県生まれ。67年、16歳でグループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてデビュー。「神様お願い!」や「エメラルドの伝説」がヒットし、アイドル的な人気を集めた。解散後は沢田研二さんや岸部一徳さん、故井上堯之さんらとロックバンド「PYG(ピッグ)」を結成。日本のロックの黎明(れいめい)期を支えた。
75年にソロアルバムを出し、ロックシンガーとして活動。「大阪で生まれた女」がヒットした。17年に歌手活動50周年の記念アルバム「LAST DANCE」を発表し、昨年6月まで記念ライブを行った。
俳優としても活躍し、72年に始まった日本テレビのドラマ「太陽にほえろ!」に「マカロニ刑事」の役で出演。スタイリッシュな容姿と常識破りなキャラクターで、反体制的な70年代の若者の支持を集める。
74~75年の「傷だらけの天使」では、水谷豊さんとのコンビで怪しい探偵社の下働き役を好演した。不真面目ながら筋を通す若者像は、学生運動に敗れ去った後の冷めた社会の空気を象徴する存在となった。75年からは倉本聰さん脚本の「前略おふくろ様」に主演。これまでのイメージとは一転。板前修業をする、母親思いの心優しき青年を演じてみせた。
映画では72年の「約束」などに続き、74年に「青春の蹉跌(さてつ)」に主演する。上昇志向の強いエリート大学生を冷徹に演じ、キネマ旬報男優賞を受けた。神代辰巳監督とはこの後も「もどり川」「恋文」「離婚しない女」などでタッグを組んだ。80年には黒澤明監督の「影武者」に出演、94年には「居酒屋ゆうれい」で主演を務めた。
結婚・離婚を繰り返す私生活や、大麻取締法違反容疑や映画出演料をめぐる恐喝未遂容疑で逮捕されるスキャンダルでも注目を集めた。
萩原健一さんの妻・理加さんのコメント
生前に、お世話になりました仕事関係の皆様、ファンの皆様に、心よりお礼申し上げます。これまで、本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました。今はまだ、心の整理がついておりませんので、皆様、どうかご理解頂けると幸いに存じます。