現役引退を表明した大リーグ・マリナーズのイチロー選手(45)は、愛知・愛工大名電高のエースとして1991年春の第63回選抜高校野球大会に出場した経験がある。開幕を23日に控えた今春の選抜大会に臨む高校球児たちにイチロー選手への思いを聞いた。
【写真特集】イチローの歩み オリックスから世界へ
【特集】イチローの歩み
東邦(愛知)の山田海大(かなた)君(3年)は、小学6年のとき、地元の少年野球チームの一員として「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」に出場。2位となり、表彰式でイチロー選手にメダルをかけてもらったという。「背が高くて、クールで、いいにおいがした」
引退は一夜明けてから朝のニュースで知った。「小学校の頃は打撃のフォームをまねしていた。今でもあこがれの選手。引退されて悲しいですが、お疲れ様でしたと言いたいです」と話した。
明石商(兵庫)の来田(きた)涼斗君(2年)は神戸市出身。小学生の頃はオリックス・バファローズのジュニアチームでプレーしていた。「神戸ゆかりの身近な存在で、小さい頃からのヒーローでした」。同じ外野手として、鋭い送球で走者を刺す「レーザービーム」が印象に残っている。
引退を知り、「もうプレーが見られない」とショックを受けた。「現役で長くプレーできることを証明してくれた。走攻守の三拍子そろった選手で、僕も将来はイチロー選手のようなプロ野球選手になりたい」と話していた。
智弁和歌山の細川凌平君(2年)はイチロー選手に憧れて野球を始めた。スマートフォンのニュースで引退を知り、「これは見ないとダメだ」と未明にもかかわらず、宿舎で1人で引退会見を見た。「引退を知って悲しかった。イチローさんでも引退するなんて。まだ続けてほしかった」とうつむく。
「貫けたことは野球を愛せたこと」というイチロー選手の言葉が印象に残ったと言い、「あれだけのスーパースターも最後の打席で全力疾走していた。僕も全力でがんばらな」と野球への愛を新たにしていた。
国士舘(東京)の松室直樹主将(3年)が小学3年の時に買ったグラブは「イチローモデル」だった。「肩や球際の強さが際立ってかっこよかった。守備も打撃も手本にするところがいっぱいあって、あこがれの選手でした」。イチローのような選手になりたいという気持ちからグラブをそろえ、打撃フォームもまねしていたという。「現役中に一度は間近で見たかった。その夢はかないませんでした」と話した。
履正社の野口海音(みのん)主将(3年)は、尊敬するプロ野球選手にイチロー選手を挙げる。21日夜、宿舎のホテルでテレビを見てイチロー選手の引退を知った。野口主将は「ストイックに野球を続ける姿が好きだった。年齢的に引退は仕方ないと思うがもっとプレーが見たかった」と残念がった。自身は15歳以下の日本代表に選ばれて国際試合も経験した。「日本と海外で活躍したのがすごい。一歩でもイチロー選手に近づきたい」と話した。
筑陽学園(福岡)の福島悠介君(3年)はイチロー選手の大ファン。小学生の頃、WBCで活躍するイチロー選手を見てファンになり、今でもネット上でイチロー選手を取り上げた番組をよく見ているという。
21日夜は、宿舎で同室の江原佑哉主将(同)とイチロー選手の最終打席を見守った。引退を聞いて「びっくりして泣きそうになった。さみしいです」。
「自分たちの世代は野球イコール、イチロー選手」。石岡一の酒井淳志主将(3年)はこう表現した。
SNSで引退を知った。「これからプレーを見られなくなるのは残念。でも、現役が終わっても、自分たちの中ではプレーヤーとして残ります」
東邦の監督「うちに来てほしかったけど…」
23日開幕の第91回選抜高校野球大会に出場する東邦(愛知)の森田泰弘監督(59)は、中高生だった頃のイチロー選手を知る。当時は同校のコーチ。中学生だったイチローの評判を聞きつけ、愛知県内であった試合を見にいっていたという。「うちに来てほしかったけど、かなわなかった。でも、来ていたらああなっていなかったかもね」
イチローがいた愛工大名電と公式戦で対戦したときの記憶も鮮明だ。線は細かったが、外野からの送球が当時から「レーザービーム」のようだった。シャープでスピードがあり、センスが抜群だと思ったことを覚えているという。「彼を見て『イチローみたいになりたい』と、野球を頑張ってきた少年たちがたくさんいる。あんな選手、なかなか出ないよね」と話した。
引退会見で子どもたちへの指導に興味を示していた点についてもふれ、「イチロー杯など、積極的に取り組まれている。そういう人が高校生を含めた若い選手に経験を伝えてもらえれば、非常にいいですよね」と話した。