「神戸は特別な街です。僕にとって」。22日未明、日米通算4367安打という記録を残して現役引退を表明した記者会見で、大リーグ・マリナーズのイチロー選手(45)はそう語った。神戸の人たちにとっても、イチロー選手は特別な存在だ。
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【特集】イチローの歩み
イチローが現役引退「大変幸せ」 28年で4367安打
阪神・淡路大震災に襲われた1995年、神戸を本拠地としたオリックス・ブルーウェーブ(当時)の選手たちはユニホームのそでに「がんばろうKOBE」のワッペンをつけてリーグ優勝し、翌96年に日本一に輝いた。イチロー選手はその中心にいた。
神戸市須磨区のふぐ一品料理店「あみ」の木下大輔さん(41)は、「暗いことばかりだったので、勇気づけられた人は多くいたと思う」と振り返る。
イチロー選手が初めて店を訪れたのは94年9月。高校球児だった木下さんがサインをお願いすると、店内の壁に「いちろー」と書いてくれた。店は震災で半壊したが、サインが書かれた壁は今も店に残っている。
木下さんはイチロー選手引退の報道を受け、「びっくりした。人ができないことをやってくれる人。結果は出ていなかったけど、シーズンが始まったら活躍してくれると思っていたので残念」と話した。「勝手な解釈かもしれへんけど、『最後は日本で』って思ってたんちゃうかな。そう思うと、やっぱりかっこいい」
94~95年にオリックスの私設応援団の団長を務めた小沢直子さん(43)は「被災した神戸の人たちが、イチローがいたオリックスのおかげで一つにつながった。感謝してもしきれない」と振り返った。
18日の巨人との試合で、「イチローらしくない見逃し三振」を見て、覚悟を決めていたという。「選手人生は一区切りかもしれないけど、野球人生は続く。これからどんなふうにイチローが野球と関わっていくのか、楽しみです」
熱心なオリックスファンの木村幹・神戸大教授(朝鮮半島地域研究)は、仕事で滞在していたシアトルでもイチロー選手のプレーを球場で見た。2010年のシーズン最終戦、マリナーズにいたイチロー選手は九回裏に凡退して最後の打者になったが、観客はスタンディングオベーションでたたえていた。「たとえアウトになっても『この人を見られてよかった』と思える選手は、そういない。神戸で震災を経験した彼は、シアトルでも地元を大切にしていたのだろう」と話した。(野平悠一、高橋大作、左古将規)