アップル狂想曲
店の前に置かれた花束やリンゴに、「Thank you Steve」(ありがとうスティーブ)のメッセージ。不思議な光景だった。
2011年10月5日、米アップルの創業者スティーブ・ジョブズが56歳で死去した。私はどちらかと言えばアナログ派で、アップルに特別な思い入れもなかったが、外出ついでに東京・銀座の「アップルストア」に足を運んでみた。
そこは、ファンが集まる追悼の場となっていた。親しい友人でも亡くしたかのように「スティーブは……」と語り出す人までいた。
平成の30年、社会のデジタル化が進んだ。アップルは、コンピューターを誰もが使えるパソコンに変え、音楽をダウンロードする仕組みを広げた。ボタンをなくしたスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」で世界は一変した。ジョブズは、デザインや使い勝手に強くこだわり、社内対立で会社を追われもした。逸話には事欠かなかった。
とはいえ、外国企業の経営者の死にここまで感情移入する人たちに驚いた。「いったいこれは何なんだろう」。ジョブズだけでなくアップルという会社にも、ただならぬ思いを抱く人がいると知るのは、さらに2年も経ってからだ。
13年9月、経済部にいた私は、iPhoneの新機種「5s」の発売を取材することになった。
舞台はあの銀座の店。発売10日前から人が並び始めていた。一番乗りは茨城県の会社員。有給休暇をとって駆けつけたという。「アップルの革新性にひかれ、業績がいいときも悪いときも付き合ってきた」。キャンプ用のいすやテーブルを用意。折からの台風にも耐え、ようやく発売日を迎えた。
午前8時。店のドアが開いた。列をなした約700人を、そろいの青いシャツ姿の店員がハイタッチと歓声で招き入れる。携帯を買いに来ただけとは思えない、妙な高揚感と一体感。競合メーカーの人の言葉を思い出した。「アップルはストーリー(物語)を売っている」
最も長い拍手は社員に
米アップルがカリフォルニア州で例年秋に開く新型iPhone(アイフォーン)の発表会に、私は2014年秋、初めて出席した。サンフランシスコに赴任した年だ。
開場したとたん、ふだんは遅刻してもまず走らない米国人が、走る走る。席取り合戦だ。小さないすの足元に荷物を置き、左手に一眼レフのカメラ。手首にICレコーダーをぶら下げ、ひざの上でパソコンをたたく。
新型機や決済サービス、腕時計型端末アップルウォッチと約2時間。くたくただ。最後に最高経営責任者(CEO)ティム・クックが来客に感謝を述べ、言った。
「なかでも、素晴らしい製品づくりをした社員に感謝します。さあ、立ち上がって」。社員は歓声を上げ、互いに拍手を送りあった。この日最も長い拍手だった。
パソコン、音楽のダウンロード、スマホ、アプリといった全く新しい製品やサービス、無駄をそぎ落としたデザイン。創業者スティーブ・ジョブズの世界観を引き継ぐ社員が、製品を通じて、利用者とその物語を共有する。アップルのファンは、いちはやく製品を手に入れることで、その輪に加わったと感じるのかもしれない。
人気ロックバンド「U2」が登場し、発表会がコンサート会場と化したころ、携帯が鳴った。東京の編集局からだった。「発表されたサービスの対象に日本は入っている?」。大音量の音楽で踊るアップル社員の横で、電話口に怒鳴った。「わかりません!」。発表会はITの巨人が見せたい物語を披露する場だ。記者が知りたい詳細は後回しということもある。
のちに、招待される記者数は国ごとの枠があると知った。アップルは明らかにしていないが、日本は十数人らしい。15年ごろから中国の記者が増え始め、50人を超えたとも聞いた。ほかの国の記者と話すと、その国でのアップルの位置づけがわかって面白い。アップル好きが高じて記者になってしまった人までいた。
特ダネ記者は大学生
アップルは秘密主義だと言われ…