白人、黒人、黄色人種――。何げなく使っている人種という概念を、遺伝学で使わないように米国の研究者が呼びかけている。定義があいまいで、科学的根拠も乏しく、差別や人に優劣をつける風潮を助長しかねないという。
論文ボーッと書いてんじゃねーよ 読まれるテクとは
米学会「遺伝学では分けられない」
上半身裸の男たちが、次々に牛乳を一気飲みし、雄たけびをあげる。2017年2月、ニューヨークで撮影された白人至上主義者の集まりだ。牛乳は白人の優位を訴えるシンボルになっている。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、白人の多くは成人しても体内で乳糖を分解する酵素ラクターゼが作られ、牛乳を飲んでもおなかを壊さない。アジア系やアフリカ系では、この酵素を十分持たない人の割合が多く、極右のネット掲示板などで、「牛乳を飲めないなら(米国から)立ち去れ」といった投稿につながっている。
人種の違いに端を発した憎悪犯罪も後を絶たない。今月15日にニュージーランドのイスラム教礼拝所(モスク)で起きた乱射事件では、容疑者が「白人の危機」を訴える声明をネット上に投稿していた。
差別を助長しかねないとして、著名な科学者の発言が問題にもなった。
DNAの二重らせん構造を発見し、ノーベル賞を受けたジェームズ・ワトソン博士は、今年1月のテレビ番組で「知能と人種は関係している」などと発言。ワトソン氏がかつて所長を務めたコールドスプリングハーバー研究所(ニューヨーク州)は「偏見を正当化するための科学の誤用を非難する」との声明を出し、名誉職を剝奪(はくだつ)した。
差別や誤解に対し、米人類遺伝学会(ASHG)は昨年10月、「人種差別のイデオロギーに遺伝学を使うことを非難する」と異例の声明を発表。「遺伝学では人類を生物的に分けることはできない」「『種の純血』などという概念は、科学的に全く無意味だ」などと批判している。
肌の色や骨格、個人のDNAの多様性
そもそも「人種」は18世紀に広まった考え方で、肌の色や骨格などの身体的特徴から人類を3~6種類に分類できるという前提に基づく。だが、DNAが発見され、全遺伝情報(ゲノム)が解読されるようになった現代では、単純でないことが分かっている。
「人種は欧州の科学者が植民地支配や奴隷制を支えるために政治的意図を持って発明した概念だ」。2月にワシントンで開かれた米科学振興協会(AAAS)の年次総会。人種と遺伝学についての討論会でカトリーナ・アームストロング・ハーバード大教授はこう指摘した。主催したドレクセル大のマイケル・ユデル准教授は危機感を強める。「科学者にとっても政治家にとっても、一般の人にとっても重要な問題だ。人種という単一の見方では人の多様性は解き明かせない」
一人ひとりのDNAの塩基配列は99・9%は同じ。遺伝的な違いは緩やかで、集団ごとにきっちりと境界を作ることはできない。人種を決定するような遺伝子はなく、同じ人種とされた中でも遺伝子レベルでみると多様性がある。
ペンシルベニア大のサラ・ティシュコフ教授は「遺伝的多様性は、10万年以上かけて人類が環境に適応するために進化した結果。人種とは関係ない」と話す。例えば、ラクターゼができる体質は、欧州特有のものではなく、中東や北アフリカで酪農が始まってから人類全体に広まった。白人であっても、一定の割合で持たない人がいる。
人種の違いが、病気のかかりやすさの判断や治療法を選ぶのに役立つとする研究者もいる。しかし、人種の定義や境界があいまいで、誤診につながる可能性もある。遺伝子に注目しすぎることで、貧困や医療格差など別の要因が見逃される懸念もある。
ティシュコフ氏らは、差別につながる誤解や悪用を許さないよう「人種」という言葉を科学論文からなくそうと訴える。人の集団を表すときには「系統」や「人口集団」などと言い換え、地理的祖先や文化、言語など何に基づく分類か明記するよう提唱。同時に、社会学や政治学の分野で人種という概念を使って差別や格差を調べる研究は重要だとしている。
米科学界のこうした動きについて、武藤香織・東京大教授(研究倫理)は「遺伝学がホロコーストなどの優生思想に手を貸した負の歴史が影響している」とみる。日本でも、厚生労働省が16年にゲノム医療の報告書をまとめた際、武藤さんらの働きかけで、ゲノム情報が差別につながらないよう留意する記述が盛り込まれたという。(ワシントン=香取啓介)