今から約300年前の江戸時代、富士山が噴火した。火口から舞い上がった大量の火山灰は南関東一円に降り注ぎ、社会インフラがマヒするなど大混乱をもたらした。実は当時の火山灰が奈良と千葉に残されている。富士山から遠く離れた場所に、なぜ、火山灰が伝えられているのだろうか。 なぜ奈良に? 「こんなんあったぞ」 1996年、奈良県大和郡山市教育委員会の職員だった服部伊久男(いくお)さん(61)が、市中心部の再開発工事で解体された、江戸時代の郡山藩の元家老の家に伝わる約1万点の資料を整理していたときだった。一緒に作業していた男性から手のひらほどに畳まれた紙を手渡された。中を開くと、さらに二つの紙包みがあり、それぞれを開くと灰色の粉がわずかに舞った。 紙包みには、こう書かれていた。「宝永4(1707)年11月23日、正午過ぎにぼんと音がし、雷も少し鳴った。その後、このような灰が降った。薮田熊之助8才の年」。灰色の粉は、江戸時代に富士山が噴火した初日に降った火山灰(各約10グラム)のようだった。 なぜ、富士山の灰が奈良にある… |
富士山の火山灰、奈良や千葉にも 江戸時代が伝える教訓
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