米軍初の日本本土への空襲「ドゥーリトル空襲」を実行した米兵の最後の生存者、リチャード・コール氏が9日、米南部テキサス州で死去した。103歳だった。米空軍が発表した。
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空襲は1942年4月18日、米軍がB25爆撃機16機を使って、東京や横浜、名古屋、神戸などを標的に行った。前年12月の日本軍による真珠湾攻撃の報復で、数十人の死者が出たとされる。
米空軍によると、コール氏は作戦を指揮したドゥーリトル中佐を副操縦士として支え、80人の隊員の最後の生存者。米空軍はツイッターでコール氏を「レジェンド」と英雄視し、「彼らのレガシー(遺産)をいつまでも忘れない」とした。
一方、小学4年でこの空襲を体験した堀川喜四雄(きしお)さん(86)=東京都荒川区=は取材に「米国では本土初空襲は誇らしいことなのかもしれないが、我々にとっては違う」と話した。
発生からまもなく77年。「日本の体験者も少なくなっている。平和な世の中だからこそ、『戦争は勝っても負けても傷つく人が間違いなくいるんだ』ということを伝えていかなくてはならない」。来月11日には地元の中学校で、堀川さんの体験を題材とした紙芝居が演じられるという。(ニューヨーク=藤原学思)