せめて死ぬ前に…チベット脱出から60年、募る望郷の念——贯通日本资讯频道
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せめて死ぬ前に…チベット脱出から60年、募る望郷の念



チベット仏教の仏具であるマニ車をまわして歩くイェシ・ヤンバルさん=2019年3月5日、バイラクッペ、奈良部健撮影



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インド南部バイラクッペにあるインド最大のチベット難民居住区。高齢者施設に暮らすイェシ・ヤンバルさん(81)は、毎朝4時に起きて部屋に掲げたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(83)の写真の前で手を合わせる。中に経文が納められた「マニ車」と呼ばれる円筒をまわしながら、毎朝同じことを祈る。


「ダライ・ラマが長生きされ、チベットにお帰りになれますように」


「中国に存在消される」チベット動乱60年、募る危機感


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チベット仏教の僧院に入っていく僧侶たち=バイラクッペ、奈良部健撮影



1950年代の中国軍によるチベット進駐とその後の動乱の末に、チベットの政治指導者も兼ねたダライ・ラマが59年、インドに亡命すると、彼を追って多くのチベット人がインドに渡った。ダライ・ラマは亡命政府を打ち立て、インド北部ダラムサラを拠点としたが、当時の州政府が土地を提供したバイラクッペにも約1万4千人のチベット人が暮らす。


ダライ・ラマのインド亡命から今年で60年。同じ時期にインドに渡った人たちはみな高齢になった。中国政府が支配するチベットとは異なり、自由にダライ・ラマやチベット仏教を信仰できるインドでの暮らしに満足する一方、帰れない故郷への思いを募らせている。


ダライ・ラマと越境


イェシさんもその一人だ。


イェシさんはダライ・ラマがチベットの都ラサからインドに亡命する際、志願して警護兵になった。途中では中国軍との射撃戦にもなったという。「ダライ・ラマの安全だけを考えていた。インド国境に着いて送り出した時は本当に幸せで、もう自分は死んでもかまわないと思った」と語る。




チベット仏教のナムドロリング僧院=バイラクッペ、奈良部健撮影



ダライ・ラマの警護兵に志願したのは、10代のころの経験からだった。僧侶だったイェシさんは、チベットの人たちがギャロン地域と呼ぶ今の中国四川省西部の故郷の村で中国軍が農作物を力ずくで奪うのを目撃した。友人を殺されたこともあったという。「仏教の修行をしていたが、中国軍と戦うことしか考えなかった。仏教は暴力を否定しているが、我慢がならなかった」と振り返る。


イェシさんはダライ・ラマとともにインドに渡った後、インド国境警察に就職。退職後は衣類販売業をして生活してきた。「インドは自由で天国のようだ。何をしゃべっても何を信じてもいい」。ダライ・ラマの警護兵としてインドに渡ってきたことにも誇りを持っている。


だが、唯一の心残りはチベット…


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