平成経済はバブル崩壊で始まり、いくどかの金融危機にも見舞われた。日本が世界第2位の経済大国から転落していく歴史でもあった。低成長社会のままではいけないのか。経済政策運営には問題があったのか。小泉政権で経済政策の司令塔を長く務めた東洋大学教授の竹中平蔵さんの視点から、平成がどう見えるのかを聞いた。
――平成の30年間を振り返るとどんな時代でしたか。
「激変の時代です。ただし中身はまだら模様。いい時も悪い時もあった。2年目以降を五つに区分すると、①戸惑いの7年(1990~96年)②危機の5年(97~2001年)③改革の6年(02~07年)④最も失われた5年(08~12年)⑤再挑戦の7年(13~19年)です。平成は元年(89年)暮れに株価が、その2年後に地価がピークを打ち、バブル経済が崩壊して始まりました。最初は社会全体として何が起きたかわからず戸惑った。バブルという言葉はあったがあまり使われておらず、『複合不況』と言われた。みな、もうひと山くればと考え、バブル崩壊の深刻さを理解できなかったのです」
――それが長い低成長時代の幕開けでした。ただその後も、ほどほどの実質成長はありました。人口減少、超高齢化のもとではけっこう健闘したのではないですか。
「もちろん経済の成熟、所得水…