74年前の8月6日、一発の原子爆弾で焼け野原となった広島。約2万点の資料を所蔵する広島平和記念資料館が、約10年かけた展示リニューアルを終え、4月25日に全面オープンする。現場のトップとして、惨禍の伝え方を議論してきた前館長の志賀賢治さんに、新しい展示方法と、被爆者なき後の資料館のあり方について聞いた。
広島・原爆資料館が刷新 実物展示に重点、説明は抑えめ
被爆者は今、核兵器と人類の関係は…核といのちを考える
志賀賢治(しが・けんじ) 1952年、広島市生まれ。78年広島市役所に入り、健康福祉局長などを歴任。2013年4月に12代目館長に就任。3月31日付で退任。
広島平和記念資料館リニューアル、前館長・志賀賢治さんに聞く
「被爆体験を次世代にわかりやすく伝えることを目的に、2010年以降、有識者を交えた検討会議を25回重ねてきました。被爆者の視点から、原爆の悲惨さを表現すること、実物資料で表現すること、一人ひとりの被爆者や遺族の苦しみや悲しみを伝えること、という三つの柱で、あるべき展示の姿を考えてきました。13年に館長となって、検討会議の15回目以降から議論に参加しています」
――過去にも、大きなリニューアルが何度かありましたね。
「1955年の開館以降、今回が3回目の大規模改修です。かつては、原子力平和利用博覧会で原子力の民生利用がもたらす世界を展示しつつ、被爆資料も並べました。『核兵器って怖い』けど『使い方によってはこんなに素晴らしい』と。それに批判が起こり、被爆の実相に特化したのが75年です。91~94年の改修は日本の加害の歴史も盛り込み、前後を含めてトータルに捉えようとしました」
――以前の展示は。
「展示室中央に大きなジオラマを置き、被害の地理的な範囲を示していました。近くにはリトルボーイの実物大の模型、核分裂のメカニズムなど要素ごとに展示し、周りに遺品を置いていました」
「しかし、被爆者にはリトルボーイは見えていなかったし、熱線、爆風、放射線が同時に襲いかかって、何が起きたか分からなかったというのが現実です。そういう意味では、あの日広島にいた人の視点ではなかったんです」
「私は『後知恵』と言いますが、科学的なことや後に判明したことの説明は東館へ集約し、本館は、あの日がどうだったかに徹して展示することにしました。『感性の本館、知識・情報の東館』という使い分けをしています」
――皮膚が垂れ下がった人が、がれきの上を歩く被爆再現人形を撤去したことには、批判もありました。
「事実をきちんと伝えるのが、…