戦争や貧困で義務教育を受けられなかった人の学びの場として設置された中学校の夜間学級(夜間中学)。関西での50年の歩みをまとめた「生きる 闘う 学ぶ 関西夜間中学運動50年」(解放出版社)が出版された。学ぶ喜びや苦労、設置を求めた各地の運動を、卒業生や元教員ら約60人の声や手記、資料で紹介している。
「夜間中学で人生が変わった」
大阪府岸和田市の箱谷暎子(えいこ)さん(77)は、同書で体験を語った一人。家が貧しく、小学校を終えたら働いて家計を支えた。24歳で結婚。夫も似た境遇で、中学校に通っていなかった。
府南部のスーパーなどに店を構え、タコ焼きやお好み焼きを売って2人の子を育てた。「生きるのに困ることはなかった。読み書きと簡単な計算はできたし」。ただ、学校への憧れが消えることはなかった。
夫ががんになり、閉店を機に、岸和田市の岸城中学校の夜間学級に入学。68歳になっていた。
間もなく夫は亡くなった。「お父さんの分も頑張るから」と、勉強に打ち込んだ。小学校の復習の九九でつまずいたのはショックだった。「お店やってた時は、お客さんに『勘定早いな』って言われたのに」。ノートに繰り返し書き、風呂場で暗唱。雨の日は電車を待つ駅のホームのコンクリートに、傘から落ちる滴で漢字を書いた。街にある英語の看板も少しずつ分かるようになった。
学級では年長で、休まず通って信望は厚かった。近畿の夜間中学の生徒会連合会長も務め、学習環境の整備などを行政に求めた。「人前で話すのは苦手やけど、必要なことはちゃんと言わなあかんとわかった」
8年かけて卒業。府立和泉総合…