ヨネちゃんのトーフラーメンが、1日限りでよみがえった。6日は彼女の命日。懐かしい匂いが漂う長野県山ノ内町の渋温泉街で、常連たちは麺をすすりながら、大好きだったヨネちゃんの思い出話に花を咲かせた。
「うん、この味よ。懐かしい味」
この日復活したトーフラーメンのスープに巌(いわお)登志枝さん(80)が声を上げた。仕事帰りにいつも食べてきた味。「辛め」というオーダーに笑顔で応じてくれたヨネちゃん。「気さくで明るい人だった。40年通いましたから」
湯治場として1300年以上の歴史を持つ渋温泉。石畳の坂道にげたの音が響く、古き良き温泉街の一角にラーメン店「米龍(よねりゅう)」はあった。ヨネちゃんこと店主の浦野米子さんが40年間、切り盛りしてきた。
名物はトーフラーメン。豆腐とひき肉のとろみあんがかかったひと品は、地元だけでなく、観光客にも愛された。店主の明るい性格もあって、小さな店内はいつもにぎわった。80歳を超えても厨房(ちゅうぼう)に立ち続けてきたヨネちゃん。しかし、体をこわして2015年に店をたたみ、その翌年の6月に90歳で亡くなった。
渋温泉のソウルフードだったトーフラーメンを復活させたい――。立ち上がったのは地元の旅館経営者らだった。しかし、大きな壁があった。レシピがなかったのだ。
唯一の頼りは、味を知る人たちの舌。みんなで仕事の合間を縫って集まり、再現を試みた。ニンニクの効いたしょうゆベースのスープ、中細のちぢれ麺、そしてとろみあんの辛み。「上品な味じゃない。ヨネちゃんの味なんです。これが難しかった」と話すのは、志賀高原で宿泊施設を営む渡辺克樹さん(49)。家族で米龍に通った常連の一人だ。
そして17年6月6日、温泉街にある旅館を会場に、トーフラーメンを復活させた。命日の1日限定という試みは好評を博し、今年で3回目になった。調理や接客を担当するのは温泉街の仲間たち。前日からスープを仕込んでいた渡辺さんも厨房で鍋を振った。
この日、午前11時半の開店前から行列ができた。神奈川や新潟から訪れた常連さんの姿も。「休みを取って毎年来ている」「風邪気味のときにいつも出前で食べていた」――。辛さで汗をかきながら、あちらこちらで笑顔が咲いた。
米龍を手伝っていたヨネちゃんの義妹、浦野友恵さん(86)は「年に1回、にぎやかに集まれる場をつくってもらい、米子さんも喜んでいるはず。味もね、だんだん近づいてきましたよ」。ヨネちゃんの写真に目をやりながら、やっぱり笑顔がこぼれた。(津田六平)