児童虐待の被害にあった児童が今年上半期は128人に達し、統計を取り始めた00年以降の最悪となったことが警察庁の調べで分かった。死亡した児童も28人に上り、01年の31人に次いで多かった。ひ護すべき愛児に親が乱暴を振るったり、育児放棄したりする背徳の犯行なのに、事件はいっこうに後を絶たない。全国の養護施設は保護された児童であふれかえり、パンク寸前になっているとも伝えられている。嘆かわしくも深刻極まる事態だ。
04年に児童虐待防止法が改正され、児童虐待を家庭内のトラブルとして片付けず、社会問題として一掃を目指す機運は高まったはずだが、取り組みはまだまだ不十分といわざるを得ない。最低限の愛情や責任感さえ見失った親たちの存在が続々と明らかになる以上、加害者の個人的な資質の問題としては片付けられない。子育てには結局、祖父母ら親族や地域社会の支援が必要なのかもしれないし、従来の公的教育には何かが不足していることも考えられる。専門家には都市化や核家族化との相関などを調査、研究し、抜本的な対策を編み出してもらいたい。
当面は、虐待されている子どもの発見と保護に全力を挙げねばならない。死亡した被害者の4人に1人は、児童相談所や警察が虐待の事実を把握しながら手をこまねいているうちに死に至った、との警察庁の調査結果もある。
福島県で7月末、3歳男児が食事を与えられずに死亡した事件は、救える命を救えなかった典型的なケースだ。逮捕された両親は、同県に転入する前にも被害者の兄に対する暴行事件を起こしたため、県の児童相談所では虐待するリスクが高いとみていた。しかも、被害者の姉が虐待されているとの通報を受け、自宅への立ち入り調査までしながら、姉に会えなかったため虐待の有無を確認できなかったという。事件後に相談所長らは非を認めて謝罪したが、姉の虐待を確認していれば被害者も助けられたはずだ。兄姉も衰弱した状態で保護されている。放置した無責任ぶりは“お役所仕事”というより、人の命を預かっているとの認識が欠如していたのだろう。
秋田県藤里町の連続殺人事件でも、被害女児が容疑者の母親からネグレクトなどの虐待を受けていた疑いが指摘されている。関係者が手を差し伸べていれば、女児だけでなく被害男児の命も救えたかもしれない。専門機関の児童相談所が、救済の先頭に立つべきは言うまでもない。専門家の養成、増員などの課題はあるとしても、職員それぞれが命の負託を受けているとの自覚を高め、積極果敢に対応してほしい。多少の行き過ぎがあっても不作為よりはマシだし、あくまでも救済を優先したい。
過去の事例研究で、子を虐待する親の大多数が、自身も児童虐待の被害者だったことが分かっている。悲しい連鎖があるとすれば、対策を急がないと次世代には児童虐待がさらに多発することになりかねない。切実な問題として取り組まねばならない。
毎日新聞 2006年8月4日