我が国初の人口調査は、八代将軍徳川吉宗が始めた。
吉宗さんは改革好きな殿様だった。倹約を呼びかけ、民衆の意見をくみ上げる目安箱を置き、新田開発を奨励した。逸話も多く、小説では好意的に描かれている。
しかしその一方で、不思議な改革も断行している。1720年に出した「新規製造物禁止令」という法律である。
いわく「品物を多く作れば、人々は身のほどを越えて買い求め、国の衰えにつながる。だから衣類や道具、書籍にいたるまで、新しいものを工夫して製造してはならぬ」。現代風に言えば技術革新も発明もダメということだ。これでは景気が停滞してしまう。
実際、この年を境に社会は停滞したと、科学史家の板倉聖宣氏は指摘している(「日本史再発見」朝日選書)。人口も年貢も土木工事も、銀の採掘量も、統計上は減少に転じている。「享保の改革」は、人口減少に危機感を感じ、税収(年貢)減少に歯止めをかけようと、新たな挑戦まで封じた「縮み志向」の改革だったという見方だ。
平成の今も人口減少は悩みだが、「税収減、活力減」を回避するために挑戦をやめろというリーダーがいたら、まず支持されない。
総裁選レースの先頭を走る安倍晋三官房長官の政権構想を読む。ちゃんと「技術革新で活力ある社会」「再挑戦できる社会」と書いてある。ただ「科学技術」の4文字がない。縮み志向ではいけないという意気込みは伝わるが、具体的な戦略が読み取れない。
分かりやすさでは小泉さんと吉宗さんが一枚上手か。(科学環境部)
毎日新聞 2006年9月13日