急性骨髄性白血病で闘病中だった歌手、本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名・工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、都内の病院で死去した。38歳だった。東京都出身。今年1月に緊急入院し、5月に臍帯(さいたい)血移植の手術に成功。5日にも一時帰宅するはずだったが、3日に急変、昏睡(こんすい)状態にあった。「もう一度歌いたい」との執念で闘病を続けたが、入院から10カ月、帰らぬ人になった。
入院から298日。壮絶な闘病生活を終え、埼玉県の自宅へ帰った本田さん。所属事務所関係者は「とてもきれいで安らかな表情で眠っています。いまにも起きてきそうです」と話した。
デビュー20周年での他界。歌手になった時、白血病で亡くなったのが夏目雅子さん(享年27)だった。夏目さん同様その闘病は凄絶で、抗がん剤の副作用で髪は抜け、バンダナを巻きながら闘い続けた姿に「もの凄く悔しかったはず」とスタッフは声を詰まらせた。
容体が急変したのは今月3日。高熱を発し、胸部がはれ、尿が出なくなった。免疫力の低下から起きた合併症。「最も恐れていたことだった。一番気をつけていたはずだったのに…。頑張って闘い続けてきたが、もう無理だった」(関係者)
両親と妹、育ての親である高杉敬二エグゼクティブプロデューサーらがみとった。5日にも一時帰宅する予定で「鍋料理をやりたい、温泉にも行こう」とはしゃいでいたという。
移植手術後は経過も良好で、7月30日に一時退院。翌31日には自宅で誕生日を祝った。9月に再発が判明したものの、新たな抗がん剤治療で10月には2度の帰宅ができるなど「食欲も旺盛で元気だった」(関係者)というから、あまりに突然の悪化だった。
5日に病室へ見舞いに行った歌手仲間の岩崎宏美(46)によれば、昏睡状態にもかかわらず「大声で呼び掛けると“ああ”と答えてくれた」という。
病室では仕事仲間やファンからの寄せ書きを毎日眺め、見舞いに来てくれた友人たちには必ずメールで感謝の気持ちを伝えた。抱いた不安や希望は詩に書いた。容体が急変する直前には「自分の舞台を見たい」と言い、「ミス・サイゴン」など出演ミュージカルのDVDが届いた矢先だった。
高杉氏は「想像を絶する闘いでした。“歌いたい”という思いだけで、ここまで頑張れたのだと思う」。最後の作品は、先月19日に発売したアルバム「アメイジング・グレイス~クラシカル・ミニベスト」に収録した「ララバイ」。デビュー20周年のために、入院2週間前に吹き込んだ歌だった。
◆本田 美奈子(ほんだ・みなこ)本名・工藤美奈子。1967年(昭42)7月31日、東京都葛飾区柴又生まれ。85年東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビュー。数々の新人賞を受賞し、翌86年「1986年のマリリン」が大ヒット。88年にはロックバンド「MINAKO with WILDCATS」を結成し、92年「ミス・サイゴン」でミュージカルに進出するなど、それまでのアイドルにはない独自の世界を切り開いていった。03年にはクラシック調のアルバム「AVE MARIA」を発表、高い評価を得ていた。
≪育ての親、最期に「ありがとう」≫ 本田さんの育ての親ともいうべき高杉敬二エグゼクティブプロデューサー(66)は最期を感謝の気持ちでみとったという。
22年前に「少女隊」というユニットのメンバーを募集していた時にスカウトした。「演歌が上手で森昌子さんの“越冬つばめ”をよく歌っていた」と振り返る。
リスなどの小動物のような、人なつこい笑顔の裏側で努力の人だった。「感性が豊かで、歌の世界観を自分でつくっていた。“1986年のマリリン”の衣装や振り付けは彼女のアイデア」と明かす。当時話題を集めたセクシーなダンスやファッションも、他人の前では絶対に見せない努力のたまもの。テレビサイズのアイドルから飛び出し、女性ロックバンド活動に挑んだり、ミュージカル女優に転身したのも、アーティストとしての進化の表れ。1万3000人以上のオーディションを経て主役に抜てきされた「ミス・サイゴン」では舞台セットに挟まれ、足の指の骨4本を折り、7針を縫う大ケガにもかかわらず舞台を務め上げた。出会った人間との関係も大事にした。「正月前後には1週間程度の休みを取り、年賀状を2000枚ほど自分で書いていた。僕自身が彼女の大ファンだったし、たくさんの感動をもらいました。最期に手を握りありがとうと言うしかなかった」と声を詰まらせた。
▼急性骨髄性白血病 骨髄でつくっている芽球という、さまざまな血液細胞(白血球、赤血球、血小板)になる大もとの細胞ががん化する病気。正常な血液細胞がつくられなくなり、白血病細胞が血液や骨髄のなかで増殖する。主な症状に感染症(口内炎、肺炎)、原因不明の発熱、呼吸困難、多臓器不全など。日本での発症頻度は10万人あたり約6人。骨髄移植は患者と提供者の白血球の型が一致する確率が低いが、赤ちゃんのへその緒などの血液である臍帯血を移植した場合はその確率が高くなる。こうしたことなどから、日本でも急速に広がっている。89年に俳優の渡辺謙、00年にタレントの吉井怜が発症。どちらも闘病生活を乗り越え、見事に復帰している。