「日米関係がよいほど中国、韓国、アジア諸国、世界各国との良好な関係を築ける」(05年11月、京都の日米首脳共同会見で)
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小泉純一郎政権の5年間は、東アジアに日本と中国の「二強」が対等な勢いで並び立ち、同一の政治・経済空間を占有しあうという歴史的にもきわめてユニークな時代の始まりにあたっていた。
「失われた10年」の停滞を克服し、国際社会で新たな存在感を求め始めた日本。他方には、破竹の勢いでひたすら経済、政治、軍事的台頭を続ける中国があった。
国連改革と安保理常任理事国入り、東シナ海のガス田開発、尖閣諸島、歴史認識、靖国……。個々の論点は別として、どれもこれも21世紀アジアの戦略空間で優位を占めたいという日中の思惑がぶつかったとみることができる。
首相にそんな歴史観、戦略観があったかどうかは分からない。だが、これらの摩擦や対立は誰が首相であっても早晩起きたことだろう。その責めを日本だけが負うのは不公平だ。中国側にも、経済大国の技術や資本を求めながら、日本を政治小国に封じ込めたままで強引に「米中時代」を開こうとする露骨な狙いが感じられた。
同じ5年間は日米、日中、米中の関係がそれぞれに見直しを迫られた時代でもある。ソ連の脅威を考えればすんだ冷戦時代は遠く去り、対テロ戦争、中東、北朝鮮問題などをめぐって、米欧関係や米韓関係も微妙に変質し始めた。
欧州でもアジアでも各国の国益や国家目標が多様化し、方向感覚が見失われがちな中で、小泉首相は日米同盟重視路線に迷わずかじを切った。それが日本外交に大きな一貫性と安定感を与えたのは、重要な判断だったと思う。
ブッシュ米政権の単独行動主義的外交は対テロ、イラク戦争などで孤立感を深めた。だが、国連などの場で「アメリカを孤立させてはならない」と動いたり、また孤立しないようにさまざまな直言や忠告をしたのも日本だった。
カーター米大統領とシュミット西独首相や、サッチャー英首相とミッテラン仏大統領(いずれも当時)の個人的関係は険悪で、それぞれの国家関係もギスギスしたものに終わった。この5年間、日米がそうした道をたどらず、米側でも「コイズミを困らせるな」といった声が聞かれたのは、単に両首脳の「ウマがあった」という皮相的なものだけではないだろう。
日米が共有する民主政治のおおらかさや言論の自由、人権意識は中国にないものだ。同盟の価値を共有する日米と、日中、米中の三角形がどちらかと言えば二等辺になるのは自然だ。一方で、米中関係も変わりつつある。日中のひび割れを経て二等辺三角形が不等辺三角形にゆがんだのは事実だろう。適切な三角形の姿を描く作業は次期首相と中国に委ねられた。(論説委員 高畑昭男)
毎日新聞 2006年9月4日