01年9月の米同時多発テロから、11日で丸5年になる。犠牲者約3000人のうち日本人24人の遺族も、事件現場での追悼式典に参加したり、自宅で祈りをささげるなど、それぞれに故人をしのぶ。失った家族への思いや「9・11」の記憶は今も消えない。
「『ぶーちゃ』は、どんな声だったの?」
7月中旬、杉山想弥君(4)は突然、母晴美さん(41)にテロで亡くなった父陽一さん(当時34歳)のことを尋ねた。長男太一君(8)が幼いころに使い始めた「ぶーちゃ」。二男力斗君(6)と三男想弥君も、陽一さんをそう呼ぶ。
陽一さんが勤めていた旧富士銀行ニューヨーク支店は、2機目が突っ込んだ世界貿易センター南タワーにあった。想弥君は事件からちょうど半年後の02年3月11日に米国内で生まれた。
晴美さんは、事件以来ほとんど見なかった家族のビデオを出し、「ぶーちゃの声だよ」と言って見せた。想弥君はだまって画面の中の父を見つめていた。
現在、晴美さんたちは東京都内で暮らしている。陽一さんのことは、自然と話題に上る。顔立ちが似ている太一君を見つめ、「ぶーちゃに似ているなあ」と言うと、長男の太一君は照れた顔をする。「お母さんは1人で大変だよ」とぼやくと、力斗君は「ぶーちゃがいればよかったのにね」といたわってくれる。
時折、晴美さんの夢の中に陽一さんが現れる。いつも、無事だったという結末だ。「大変だったんだから」。これまでの出来事を一生懸命に話す自分がいる。
9月11日は毎年、陽一さんの好物を食卓に並べてきた。昨年は焼き肉。刺し身が好きだった陽一さんを思い出し、今年は手巻きずしにしようかと考えている。「あのテロから続く戦争で、自分たちみたいな家族がどれだけ増えてしまったのか。もう誰にも同じ思いをしてほしくない」。晴美さんは訴える。【五味香織】
毎日新聞 2006年9月11日