05年4月に起きた兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、事故車両に乗務していた松下正俊車掌(44)が28日、毎日新聞の取材に応じた。遺族や被害者に対し「申し訳ない気持ちがずっとある。機会があれば事故時の状況を説明したい」と謝罪。事故直前に駅でオーバーランした距離の過少申告について、運転士と口裏合わせをした際、乗客への対応で車内電話を途中で切ったことについて「運転士は、(自分が)怒ったと思い、不安だったかもしれない」と語った。事故後、救助活動に加わらなかった点は「あまりの事故に意識がもうろうとしていた」と釈明した。
松下車掌は事故5日後から不眠や適応障害などのため入院し、今月25日に退院した。事故後、自ら取材に応じたことはなかった。28日は大阪府内で取材に答えた。
松下車掌によると、死亡した高見隆二郎運転士(当時23歳)はかつて同じ職場で、話をしたことはないが顔見知りだった。事故当日は朝から同じ車両で乗務し、異常は感じなかったという。
しかし、電車が伊丹駅で72メートルオーバーランした直後、高見運転士から車内電話で「(距離を)まけてくれへんか」と依頼される。松下車掌は「だいぶと行ってるよ」と答えたが、途中で男性客からおわび放送を求められ、運転士との電話を切った。「高見運転士は(口裏合わせの求めに自分が)怒ったと思ったのかもしれない。(切る前に)『まけるよ』とは言っておらず、不安だったかもしれない」と証言した。
松下車掌は直後、高見運転士が処分を受けずにすむよう、指令に「8メートル」とオーバーランを過少申告した。「以前、一緒に乗務した運転士が100メートルのオーバーランで、退職してしまった。きつい処分を受けるし、運転士に口裏合わせを求められたのも初めて。(高見運転士は)全く知らないわけではなく、気の毒だと思った」と釈明した。
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は昨年12月に公表した事実調査報告書で、運転士が松下車掌から指令への列車無線の報告内容に気を取られ、ブレーキ操作が遅れた可能性を示唆している。
電車は制限速度70キロの現場カーブに約116キロで進入して脱線したが、松下車掌は乗客対応や指令への連絡に追われ、速度超過に気付く余裕はなかったという。
事故後、前方まで線路上を歩いたが、7両編成の車両が6両しかないのにショックを受け「意識がもうろうとした」と言う。先頭車両は、線路脇のマンション駐車場に入り込んでいた。血だらけで救出される乗客に謝罪を繰り返したが、救助作業はしなかった。警察官に声をかけられ、兵庫県警尼崎東署に向かった。
2年近くたっても遺族らに謝罪していない点について、松下車掌は「謝りたい気持ちでいっぱいだったが、事故を防げなかったことをうまく説明できるかわからず、そのうち外で人に会うことさえ怖くなってしまった」と述べた。【本多健、勝野俊一郎】