乗客106人と運転士が亡くなったJR福知山線脱線事故からまもなく2年。事故車両に乗務していた松下正俊車掌(44)が28日、毎日新聞に初めて胸の内を語った。「(事故を防ぐため)直接何かが出来たわけではないが、車掌として客の命を預かっていた。私には説明責任がある」。約3時間にわたり、伏し目がちに言葉を選びながら語った松下車掌。事故を振り返り、「非力だった」と無念さをにじませた。しかし、事故からあまりに長かった沈黙の期間。遺族や被害者らに、どこまでその真意は届くのだろうか。
普段着姿で取材に応じた松下車掌。事故の話になると、言葉が詰まりがちになった。「事故の報道を見ると心臓がどきどきして眠れなくなる。『人殺し』と言われるだろうと考えると、他人と話すのさえ怖くなる」。事故5日後に入院し、大阪市内の病院などで療養してきた。睡眠中にうなされることも多く、今も精神安定剤や睡眠薬を手放せないという。
脱線時、松下車掌のいた7両目は一瞬、横に震えて浮いたような感じとなり、直後に体が前へつんのめった。はずみで腰を運転台に打ちつけたが、痛みは感じなかったという。乗客らが滑り台を滑るように前方にすーっと動いていった。
脱線は、乗客から知らされた。高見隆二郎運転士(当時23歳)を捜すため電車を降りて1両目へ向かった。自分が乗っていた7両目から指を折りながら「7、6、5……」と数えていったが、1両目が見つからない。「どうしていいか分からなくなった。意識がもうろうとして記憶が飛んだ」。1両目が線路脇のマンション1階駐車場に入り込んでいたことは、現場では分からなかったという。30分か1時間ぐらい現場にいたが、救助作業を手伝うことに、頭はいかなかった。ぼうぜんと立ちつくし、担架で運ばれる乗客らにひたすら頭を下げていたという。
事故直後、ホテルなどに泊まりながら警察とJR西日本双方からの事情聴取が続いた。「警察からは『スピードが速かっただろう』と言われ、会社からは『速かったことはないだろう』と言われた。しかし、正直言って、速度の記憶がなく、板挟みになり精神的に追い詰められた」と振り返る。そのうち不眠や全身疲労などがひどくなり、入院せざるを得なかったという。
高見運転士に対しては「憎む気持ちもないし、同情もない。自分の中で複雑な気持ちの整理がつかない」と言った。今、振り返っても、直接的に事故を止められたとは思わないが、知る限りの事実を話して事故の原因究明に役立てたいと語る。「事故現場に行き、手を合わせて犠牲者の冥福を祈りたい。そして遺族や被害者から理解が得られるのなら、また車掌に戻りたい」。うつむきながらそう言った。【本多健、勝野俊一郎】