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光緒帝の副葬品200点、70年前に盗掘被害―河北省保定市
2008年12月2日、最新の科学技術で死因が「急性ヒ素中毒」であることが判明したばかりの清朝第11代皇帝・光緒帝(1871~1908)の墓が、70年前に墓泥棒の被害に遭い約200点の副葬品が盗まれていたことが分かった。北京晩報が伝えた。
光緒帝と隆裕皇后が眠る「崇陵」は、帝の死後6年目の1914年に完成した。清朝の慣わしでは皇帝は即位後まもなく自らの墓作りに着手するが、光緒帝の場合は当事実権を握っていた西太后がそれを許さなかった。だが1908年に帝が亡くなると、まもなく西太后も死去。そこで翌年の1909年、帝の弟で「ラストエンペラー」 愛新覚羅溥儀(宣統帝)の父、愛新覚羅載[シ豊]が建設を指示。1911年の「辛亥革命」で清朝は崩壊したが、袁世凱が建設の続行を認めた。墓の東には光緒帝が愛した珍妃と姉の瑾妃も眠っている。
この光緒帝の「崇陵」が墓泥棒に荒らされたのは1938年。帝と皇后の棺を壊し、中から副葬品およそ200点が盗まれた。副葬品の目録が記されている「万年吉祥帳」で確認された。「崇陵」に墓泥棒が入ったのは、この1回限りだという。(翻訳・編集/NN)
70年前,光绪帝陵墓遭盗掘,200余件殉葬品被盗——河北省保定市
2008年12月2日,据北京晚报报道,刚用最新的科学技术查明死因始于“急性砒霜中毒”的清朝第11代皇帝——光绪帝(1871~1908年)的陵墓,70年前曾遭到盗墓者的盗掘,约200件殉葬品被盗。
光绪帝和隆裕皇后长眠的“崇陵”,完工于光绪帝死后第六年的1914年。按清朝的习俗,皇帝即位后马上就要着手建造自己的陵墓,但光绪帝时,当时握有实权的西太后不允许建造陵墓。可是1908年光绪帝驾崩后不久,西太后也驾鹤西去。于是翌年的1909年,由光绪帝的弟弟“末代皇帝”爱新觉罗溥仪(宣统帝)的父亲,爱新觉罗载“沣”下令建设。1911年的“辛亥革命”使得清朝彻底土崩瓦解,不过袁世凯同意继续修建陵墓。长眠于陵墓东面的是光绪帝爱过的珍妃和姐姐瑾妃。
光绪帝的“崇陵”遭盗墓贼破坏是在1938年。(他们)毁坏了皇帝和皇后的棺椁,从中盗走了约200件殉葬品。已经得到确认的是殉葬品目录上记载的“万年吉祥帐”。据说“崇陵”中进入盗墓贼只有这一次。(翻訳・編集/NN)
出处:http://www.recordchina.co.jp/group/g26386.html