1939年5月13日、ドイツの外洋船セントルイス号がハンブルクを出帆した。乗っていたのは、欧州で勢いを増す抑圧から逃れようとする915人のユダヤ人難民だ。豪華客船ではダンスやコンサートが繰り広げられ、寛大な船長は乗客たちがアドルフ・ヒトラーの胸像にテーブルクロスをかぶせるのを許した。
2週間後、セントルイス号はハバナにいかりを下ろし、キューバのビザを買っていた乗客が確信していた温かい歓迎を待った。ところが、そうはならなかった。キューバ当局は彼らを追い返し、その後、米国、カナダ当局も追い払った。セントルイス号は欧州に戻ることを余儀なくされた。推定で乗客の4分の1が結局、ナチスの強制収容所で死んだ。
漂着後、体調不良から治療を受けるロヒンギャの人たち(15日、インドネシアのアチェ州)
セントルイス号の物語は、我々の先祖の恥ずべき罪として語り継がれている。だが、それから75年後、まさに同じくらい醜悪なことがアンダマン海の紺ぺきの海で起きている(地中海で起きていることはいうまでもない)。この数週間で少なくとも6000人の難民がタイ、マレーシア、インドネシアに入国を拒否され、海上を漂流している。国連によれば、今年、およそ300人が命を落とした。彼らは脱水症状を起こし、やせ衰え、絶望的になっており、事態が急変しない限り、もっと多くの命が失われることになる。
■国を持たないイスラム教徒少数民族
難民の大半を占めるロヒンギャ族にとっては、欧州におけるユダヤ人の扱いと似たところがある。多くの人は、強制収容所になぞらえられる難民収容所から逃げ出している。彼らはミャンマーとバングラデシュのイスラム教徒のマイノリティーだ。
「ジェノサイド防止のためのサイモン・スコットセンター」は3月、ミャンマーに調査団を送り込んだ。同国ラカイン州には100万人のロヒンギャが住んでいる。調査では、ロヒンギャが「激しいヘイトスピーチや市民権の拒否、移動の自由の制限を通じて、人間性の喪失に見舞われている」ことが分かったという。同センターの報告書は、2012年の集団暴行で少なくとも170人が死んだロヒンギャは「さらなる大量残虐行為やジェノサイド(大虐殺)に見舞われる重大な危険」にさらされていると結論づけた。
この結論は早計かもしれない。政治アナリストのリチャード・ホーシー氏が指摘しているように、ジェノサイド防止を存在意義としている組織は、そのレンズを通してものを見る傾向があるからだ。それでも、ロヒンギャ――その大半はミャンマー、バングラデシュ両国から市民権を与えられずにいる――が置かれた状況は悲惨で、悪化している。
ロヒンギャとは、誰なのか。