織田信長のおい、信澄が琵琶湖畔に築いた大溝城遺跡(滋賀県高島市)の本丸跡で、船着き場とみられる石垣が見つかり、市教育委員会が19日、発表した。船から直接本丸に上がれる構造になっていた。
大溝城遺跡の本丸跡で見つかった、船着き場とみられる石垣。奥には天守台の石垣が残っている(滋賀県高島市)=共同
市教委によると、本丸跡の北端部から堀跡を発見した。堀は琵琶湖とつながっており、石垣は一部が凹状に築かれ、階段状に積まれていたことから船着き場と考えられるという。自然石を組み合わせる野面積みだった。
大溝城は天正6年(1578年)の築城。安土城と同じ文様の瓦が見つかるなど、信長の強い影響がうかがえるという。
「本能寺の変」の後、明智光秀の娘婿でもあった信澄は攻められ、自害。その後、大溝城は廃城となり、現在は天守台の石垣が残っている。
滋賀県立大の中井均教授(中近世城郭)は「今回の石垣は安土築城直後のものであり、信長が関与した城の石垣の発展過程が分かる」とコメントした。〔共同〕