江戸時代末期の大坂の古地図「弘化改正 大坂細見圖」。南北に流れる水路に東西にかかるカウライハシ(高麗橋)、南北の道にサカイスチ(堺筋)の表記がある=本渡章氏所蔵
大阪市内の主要道路は、一部を除いて南北に走る道路を「筋(すじ)」、東西の道を「通(とおり)」と呼ぶ――。大阪勤務は通算十数年になるが、そんな大阪の「常識」を疑問に思ったこともなかった。由来はなにか。調べてみた。
例えば、「まっちゃまち」と呼ばれ、おもちゃ店や人形店が集まる「松屋町筋」。大阪市建設局に聞くと、この道の正式名称(認定道路名)は「市道天神橋天王寺線」。「筋」や「通」は愛称だそうだ。「太閤時代からの慣習にならったものです」と担当者。思わず聞き返した。「豊臣秀吉が決めたんですか?」
同局によれば、道路の愛称選定は過去3回あった。初回は1970年の大阪万博のころ。道路整備を機に、親しみをもってもらおうと、市土木局(当時)が愛称を決めることにした。参考にしたのが、南北を「筋」、東西を「通」としていたという太閤時代(安土桃山時代後期)の慣習だそうだ。
初回選定で「千日前通」など八つの「通」とあべの筋など四つの「筋」を命名。すでに愛称が定着していた「松屋町筋」「御堂筋」など六つの「筋」を加え計18の愛称を決めた。2回目は大阪21世紀計画を機にした83年、3回目はなみはや国体を機に95年。いずれも公募で決め、現在愛称がある道路は47まで増えた。
大阪の「常識」のルーツ「太閤時代の慣習」は本当なのだろうか。
大阪歴史博物館の大澤研一学芸…